新大阪 車両の発着を知らせるアナウンスが響く。 馴染んだ東京とはやはりどこか違った空気。ホームには土産物を抱え込んで帰路に着く観光客、仕事で上京する様子のサラリーマン等が目に付く。 結局予想外の事件に巻き込まれ、満足な観光もできなかった大阪への旅行。毛利探偵とその娘の蘭、そこへ居候中のコナンを大阪へ招いたホストはその事件で怪我を負っていたし、コナンたち一行もそのまま観光を続ける気分でなかったため、日が明けて早々に東京へ戻ることになった。 「また来てな。平次、今度はちゃんとゆっくり大阪案内したるゆうてたし」 「うん、服部くんにもよろしくね、お大事にって」 今は病院のベッドに横たわっている本人の代わりに、彼の幼馴染という少女がコナンたちを見送る。 「あんアホなら大丈夫や、腹に弾撃ちこまれたいうんに、あんたら見送りにくるてきかなかったし……無理矢理ベッドん中押し込めてきたわ」 悪態をつく様は、それでも愛情があることがわかるもので、蘭と顔を見合わせて少し笑った。 ホームにコナンたちが乗る車両が入ってくる。 「ほんならな。気いつけや」 「ありがとう、それじゃあ、」 蘭と共に少女に手を振り、新幹線へと乗り込む。荷物を棚に上げ席に落ち着いてしばらくすると、ベルがホームに響き、車両はするすると発車した。 窓の外、過ぎ行く大阪の町並みを見やり、そこにいるはずの人物のことを思う。 本当にお前は無茶ばっかりする、お人よしなやつだよ、服部。 でもそれに自分はとても救われている、と思う。 コナンたちの大阪観光がふいになった元である事件は、大阪府警、そして西の名探偵と称される服部平次の活躍で解決した。東の名探偵、工藤新一もまた事件解決に尽力していたことは、この西の地では唯一コナンの正体を知る平次しか知らないことだ。その平次は犯人確保の際、負傷して病院送りとなっていた。 コナン――新一が事件の犯人に刺されて死んでしまう、なんていうとんでもない夢を見てくれて、更にそんな夢を理由にコナンを大阪に呼び寄せた平次。しかし、結果的に怪我をしたのは平次自身だった。 実際は、コナンも被疑者が向けた包丁を身に受けた。しかしそれをかすり傷程度に済ませてくれたのが、見た夢を不安に思っていたのか平次がコナンに預けてきた御守りだったのだ。そして、彼の幼馴染曰くよく効力のあるらしいその御守りを持たなかった平次は、銃弾を受けてしまった。 予知夢だとか、正夢だとかそんな迷信めいたことは信じていないコナンだったが、なんとなく平次が怪我をしたのは自分の所為でもあるように感じて居心地の悪い思いがした。どうしても自分の怪我を平次が代わりに負ったような状況に思えてしまう。 偶然のこととは思うが、それが事実としたら、平次はコナンの命を救ったことになる。脇腹に銃弾を受けた平次は命にかかわることにはならなかったが、コナンの小さな体があのまま刃を受けていれば、確実に死の危険があっただろう。 感謝を告げようとか、怪我をさせてしまったことを謝ろうとか、そういうつもりがあるわけではなかったが、平次に対して申し訳ないような気持ちを持ちながら、大阪を発つ前に挨拶を兼ねて小五郎、蘭と共に、病院の面会時間になるとすぐ平次を見舞いに訪ねた。彼が預けてきた御守りがコナンの身を守ったのは事実であるので、その礼をこめてそれも返さなければならない。 それともうひとつ。今回のことを通して平次に対して生まれた負い目が、コナンを彼の元へと向かわせていた。 病室の平次は一応ベッドにはいたものの、一日前に銃で撃たれたとは思えない様子でコナンたちを迎えた。もっとも、病院に向かう救急車の中で既に怪我人にしては元気の有り余る様子だったので驚きはしない。 「そんな大した傷やあらへんかったからな、脇腹かすっただけやねん。内臓まではいってへんかったし、弾、取り出してちょちょっと縫い合わせておしまいや」 そんなことを言ってからっと笑う。弾の位置がもう少し悪ければ、こんな風に笑えなかったことはわかっているのだろうか、こいつは。心の中で思ってコナンは苦笑いを漏らした。 「でも本当によかった、大変なことにならなくて……服部くんが怪我したって聞いた時は本当にびっくりしたから」 「殺したかて死なへんよ、このアホは」 蘭が持ってきた見舞いの花を花瓶に生けながら、和葉が答えた。 「なんやねん、救急車ん中で死なんといて〜って泣きじゃくっとった奴はどこのどいつや」 「泣きじゃくってなんかおらんわ!」 平次の病室に世話役として付いているらしい和葉とのやりとりに、蘭が微笑む。 「ホント、仲いいね、服部くんと和葉ちゃん」 「う、うん…」 こっそりといった様子でコナンに囁いてくる蘭に、子供らしくにっこりと笑って頷いてみせた。 「……小五郎おじさんは?」 そしてきょろきょろと辺りを見回し、いつの間にか姿の見えない人物を問う。 「さっき出て行ったわよ。外で待ってるって。煙草でも吸いにいったんだと思うけど…」 「ふうん…」 そうして思案して、蘭を見上げる。 「ねえ、蘭姉ちゃん。僕、のど渇いちゃった」 「あら、本当?何か買ってくる?」 「うん!あ、和葉姉ちゃんも一緒に行ってきなよ、平次兄ちゃん僕が付いてるし、ちょっと外で休憩してきたらいいんじゃない?」 病室からあまり外に出ていないのだろう和葉にそう声をかけ、促すように笑ってみせる。和葉はちょっと驚いたような顔をしてから、口に手を当てて言った。 「そうやなあ、ほんなら、平次はコナン君に任せとこかな」 「任せとくて、俺はガキやあらへんぞ。お目付け役なんかいらんねん」 「せやかて、平次いっつも無茶やらかすんやもん。怪我しとんのにそんなんされたら困るやろ」 「事件もないのにようせんわ、そんなこと」 再びのやりとりがなされ、そして最後に平次が手の甲をぷらぷらと振る。 「ええわ、ほんなら俺はボウズとしゃべっとるから、二人で外行ってきいや」 コナンがちらっと平次を見やると、一瞬目が合う。その瞳が細められるのを見て、コナンは自分の思惑が彼に通じていることを知る。 「ほなちょお行ってくるわ。平次、ちゃんとおとなしくしとくんやで」 「俺はガキとちゃうて言うとるやろ、」 平次が半ば追い出すように和葉を外にやり、蘭がじゃあ待っててね、とその後に続く。扉が閉まって、コナンはほっと息をついた。 「…で、なんや、俺に話あんのやろ?わざわざ人払いまでしよって…」 とたんに平次が視線を向けてくる。蘭たちがいる場所では、「コナン」としてしか振舞えない。コナンの正体を知っている平次と話すとなれば、自然と「工藤新一」として話すことになるので、蘭たちのいる場所ではうっかりと多くは話せない。 そもそも、蘭たちのいる前では気をつけてくれと言っているのにもかかわらず、平次は「コナン」と接することに慣れないようで、あくまで高校生である工藤新一に対して接してくる。高校生の平次が、見た目は小学生のコナンにそのような態度で接するのを、度々不審がられることもあった。 正体がばれるとまずいからと言含めながら、しかし、そんな平次の傍はコナンにとって気が楽になる場所だった。この男の前では「江戸川コナン」を演じる必要はない。本意でなくとも人を欺き続けるのは、思うよりも気をすり減らす。特に、新一の帰りを待ち続ける幼馴染の前では。 平次の前では演じる必要はない。江戸川コナンを忘れ、工藤新一として同じ目線で物を見て、言葉を交わし、事件があれば共に推理を展開していく。高校生だった頃にだって、こんな風に事件の推理を対等な立場で交わせる同年代などは傍にいなかったというのに。 初めて服部平次に出会ったときには、突然現われ、更にその挑戦的な態度に好意的な感情は抱かなかったように思うが、その後正体を見破られ平次の隣に工藤新一として立つようになった今となっては、とても貴重な友人を得たと感じられる。 しかし、自分はその平次の寛容さに胡坐をかいて、彼が許すのをいいことにすっかり甘えているのではないかという不安がコナンの中には生まれていた。今回の事件、平次の負傷によって。 だから、彼には言っておかなければならない。もう既に手遅れのことであったとしても。 どう切り出そうか、と思案しながら、とりあえず必要なことを先に済ませてしまうことにする。 「これ、返すよ。サンキュな」 御守り。事件の捜査中に平次から託されたそれを、持ち主の手に返す。コナンの命を救ったそれ。 しかし、コナンは自分が刺されそうになったことを平次には伝えてなかった。平次自身が怪我をしていてそれどころではなかったというのもあるし、なんとなく、胸のうちにしまっておきたかった。自分が言わずともその場にいた事件関係者から漏れる可能性もあったが、それならそれでもよかった。自分から言うことでもない。ただ、返すそれに感謝の気持ちは込めておく。 「おお、どや、ちゃんと効果あったやろ?危険な目にも合わんと、」 「で、お前は御守り持ってなかったから怪我した、ってか?じゃあお前のその怪我は御守り持ってった俺の所為になっちまうじゃねえか」 「そういう意味ちゃうわ、工藤の身を守っとってくれたんならそれでええねん」 そう言って向けられた平次の笑顔は曇りのない、晴れた日の空にも似たものだった。 そんなものを向けられるから、自分の立場、というものを忘れてしまいそうになるというのに。 「なあ、服部…」 「なんや?」 半ば無意識に、顔を俯ける。コナンになってから、表情を読まれたくないときなどには大きな眼鏡に隠すようにそうすることが多くなってしまった。 「お前さ、俺の正体知ったこと……後悔してねーか?」 コナンが足元に向かって投げた言葉に、コナンの顔を覗き込もうとベッドから身を乗り出した平次が、ぐっと眉根を寄せた。 「はぁ?唐突になんやねん」 コナンの正体を見破ったのは平次自身だ。その真実を貫く探偵の目に正体を言い当てられ、コナンはそれを欺くことができなかった。「お前、工藤やろ」と真っ直ぐに告げてきた目から、逃れることができなかった。 「いや、後悔してんのは俺か…」 そのときのことを思って自嘲気味に呟いた。あのとき、無理にでも平次には真実を隠しておくべきだったのだ。 コナンの正体を知っている人物は今のところ、両親と阿笠博士、そして灰原哀。肉親である両親に、コナンとなってから最初に接した、小さい頃から面識のある阿笠博士、更にコナンを薬で小さくした組織の元一員で薬の開発者、そして今は自分もその薬で体が縮んでいる灰原がそれを知ることになったのに無理はない。しかし、平次は違う。 持ち前の好奇心と推理力、そしてよく働く直感によるところも多くあったのだろう、出会って二度目にして平次はコナンの正体が新一であることを見破った。 しかし、多少無理はあっても、ごまかそうとすれば何とかごまかせたはずだ。ただ、人の目を欺くという行為に自分はいささか疲れていたのかもしれない。自分の偽りを、そんな風に誰かに暴いて欲しいと心の中で願っていたのかもしれなかった。だから、あっさりと平次に事実を打ち明ける、等という考え無しなことをしてしまったのだ。 正体をばらせば付いてくる危険。コナンが小さくなった経緯を知りその組織の存在を知った者には付きまとう、組織にいつか消されるかもしれないという、危険。失念していたということはなかったが、思考の奥底に押し込めてしまった。本意でなく偽り続ける自分の、真実を見つけてくれた人物がいたことの途方もない安堵に。 しかし、今はそれを悔やむ思いを持っていた。浅はかな自分の行為。関係ないはずだった平次を、巻き込んだ。 「お前に、話すべきじゃなかったと思ってる」 「どういう意味や?」 平次の声が鋭さを帯びる。普段は柔らかい関西弁を発するその声が真実を突き止める時にも似た声に変わる。 「今回のことで思ったんだよ。俺が工藤新一だって知ったことで、お前は確実に、俺の正体が組織の奴らにばれた時の、奴らの口封じのターゲットになってるんだ。お前と、遠山さんにも…悪いことをしたと思ってる」 「和葉?」 「昨日の救急車の中で…気付いた。まったく、今更だけどな。お前に何かあれば彼女だって苦しむことになる。彼女だけじゃない、お前の両親、周りの人全て…何より、何の関係もなかったお前自身を……巻き込んだ」 苦く吐き出しながら、平次に好意を寄せているらしい彼女のことを思う。平次が銃弾を受け、病院に運ばれる中で見せた涙のことを。情けないことに、そのときようやく気付かされた。 明るく人のいい平次はきっと友達もたくさんいることだろう。度々顔を出しているらしい大阪府警にも本部長の息子として以上に、平次自身を好く思っているらしい人が何人もいるようだった。 平次に何かがあれば、その人たちも悲しむことになる。巻き込んだのは自分。平次を彼らから奪う権利など、自分にはないはずなのに。 そのことは、コナンに後悔となって巣食った。何故、安易に正体を打ち明けてしまったのかと。自分の安堵のままに、そして平次が受け入れてくれるのをいいことに、居心地の良い彼の傍に身を落ち着けていた。それが更に危険に繋がるかもしれないというのに。 これは、自分の我侭と甘えだ。自分の好奇心が招いた結果に、他人を巻き込んで楽になろうなど。 コナンはそれ以上の言葉を告げることができずに、唇を噛んだ。こんな後悔なんて意味はない。それでも言わずにはいられなかった、それこそ、甘えにも思える。 「忘れてもらえるものなら…」 忘れてもらいたいくらいだ。何とか搾り出した声では、途中まで告げるので精一杯だった。 コナンの正体に関することを忘れられることは、平次の身の危険がなくなるということ。しかし、同時にコナンが得た「工藤新一」としての居場所をひとつ無くすことだった。新一の居場所の中でも、最も心地よい場所であるひとつを。 いつの間にか平次の隣にある新一の場所がとても大切なものになっていることに、同時に気付いていた。 その場所を無くすのは、胸が苦しいほどに、惜しい。 病室にしばらくの沈黙が落ちる。コナンが何も言えずにいると、その沈黙を解きほぐすかのような平次の声が、ゆっくりと響いた。 「なぁ、工藤…」 それに促されるよう、ちらと顔を上げる。 そこには、不適に笑む平次の顔があった。 「西の名探偵、なめんなや」 言い聞かせるように強く響く。その顔に、言葉に、コナンは目を放すことができなかった。 「お前の正体暴いたんは、俺や。お前が気に病むことはあらへんで。それに、俺は後悔もしてへん」 「服部…」 きっぱりと言い切られる言葉。 「俺は、お前にできるかぎり協力したい思てるし、させて欲しいとも思っとる。なるべく、近くでな」 「でも、奴らは一筋縄じゃいかない奴らだ、本当に危険な…」 「大丈夫や、万一狙われることがあっても、俺はやられへんで。悪運強いしなぁ」 撃たれた傷の辺りを撫でながら、いたずらっぽく笑った。 「馬鹿、本当に…」 「工藤、」 冗談めかした平次に危険性を伝えようと言い募るコナンを、平次は呼びかけで制した。視線が合う。 「一人で抱え込もうとするなや」 その瞳の中にある、包み込まれるような優しさの色に、コナンは絡めとられる。 なんて、心地よさ。だからこそ、この男の傍にこんなにも安堵を感じてしまうのだ。新一の居場所をしっかりと用意しておいてくれる平次の傍に。 「なぁ、そういうこと言い出さんと、俺に頼られさせてや。一応、これでも西では名の通った名探偵やねんで?多少は役に立つ思うんやけどなぁ」 おどけた調子の声。言われずとも知っていること。 服部平次。東と西、新一と並び称される高校生探偵。 「わかった……でも足手まといには、なるんじゃねーぞ、」 ようやく、口にできたのはそんな可愛くもない台詞。しかし平次は至極嬉しそうに瞳を細めた。その中に、おなじく喜びを感じる。頼って欲しいのだと言ってくれた、平次の気持ちに。 「ま、和葉から押し付けられとる、この妙ーな効力のある御守りもあるしなぁ。持っとれば何事もあらへんのに、手放したとたん災難が降りかかる…ある意味、呪われてんのとちゃうか?」 「はは、御守りはそういうもんだろーが……それにそいつには遠山さんの…」 気持ちがこもってんだろ?とからかい半分言おうとして、胸に不思議なつかえを感じて言葉が止まってしまった。 平次の、手にした御守りを見つめる目に愛しみに似た表情を見て、言うまでもないことだとわかったからだろうか。しかし、自分の胸のうちでありながら、そのぐっと詰まるような思いに不可解なものを感じた。 「また、大阪こいや。今度は事件抜きでちゃんと大阪観光させたるわ」 「お、おう」 しかしにっこりと笑った平次を前にして、そのつかえは一瞬のうちに消え去ったので、気にしないでおくことにした。 「誰かが怪我してくれたおかげで、てっちりも食い損ねたしな、」 「そら悪かったなぁ、次んときは嫌ってほどたっぷり食わせたんで」 そして真っ直ぐに視線を合わせて、笑いあった。 外の景色が過ぎていく。 実質半日ほどしか観光はできなかったが、それはそれなりに楽しかった。 その短かったが服部がいろいろ連れまわしてくれた時間を思い出しながら、流れる大阪の街を見ていると、ふいに、またあの胸のつかえのようなものを感じた。 「……?」 胸を思わず押さえる。 「どうしたの?コナン君?」 具合が悪そうにでも見えたのか、隣に座る蘭が心配そうな声をかけてくる。 「あ、ううん、大丈夫なんでもないよ」 安心させるようににっこりと笑って、再び窓の外に目を転じた。 遠くなっていく景色。 コナンの中の、新一の居場所がある街。 こうなったら、とことんまで付き合わせてやるからな。 そう心の中で呟いて、新一はそっと口元に微笑を浮かべた。 (06/10/23) |