逢いたい 家に帰り着いて、ふ、と息を吐く。暗い部屋に明かりを灯し、リビングのソファに上着を放る。まだ少しだけ、肌寒さを感じる。暖房のスイッチを入れようかと迷って、結局入れずにキッチンへ移動した。冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出してグラスに注ぐと呷る。 ソファに戻って腰を下ろすと、上着と共に投げ出した書店の袋を取り上げた。取り出した大衆週刊誌の頁をめくる。 開いた頁の一角の、そう大きくはない記事。しかしそこには小さく写真も載っていた。まだ記憶に新しいパーティー会場の様子、フレームの中心には、人影の合間にスーツ姿の青年が写っている。 記事の内容は、何年か前に新聞紙面を賑わせていた事のある『高校生探偵』、その後姿を見せなくなった彼の消息について。並んだ活字にざっと目を通す。表立ってはいないが探偵業を営んでいること、時折警察にも捜査協力しているらしいということが、比較的好意的に書かれている。 芸能人等も立席していたパーティーには、父親の伝手で招かれた。この記事を書いた記者も参加していたのだろう。 パーティーの途中に起こり、偶然に居合わせた事件。パーティー出席者であった女優が、同じくその場にいたライバルである同期女優の飲み物に、毒物を混入させた。 結局その殺人計画は未遂に終わったが、被害者・被疑者共にテレビでよく見られる顔だったため、その事件はしばらく世間を騒がせていた。しかし、そのとき報道したどの記事でもテレビ番組でも、事件を解決に導いたのがかつての高校生探偵であったことには触れていない。 表向きは警察の解決とされているし、その場にいた人々にもそうとしか見えなかっただろう。けれど実際は、そこに居合わせた青年が警察の捜査に協力、助言をしていた。その発言が決定打となって被疑者の身柄を拘束することとなったのだ。 この記事を書いた記者は、偶然に気付いたのか、それとも後日どこかから聞きつけたのか。事件の報道も収まった時期であったので、不意をつかれた。 特にそうした活動を隠しているわけではない。以前ある事件に関わっていたときのように、マスコミへの露出を避ける事情ももうなかった。けれど必要以上に主張することもない。警察側も、一般人に捜査を助けられているなどと知られるのは、いい印象ではないだろうから。 ただ、このくらいの記事であればそれほど気にすることがないのも確か。写真の顔もあまりよくは見えないし、かつての『高校生探偵』を記憶にとどめている人もきっと少ない。 けれど、あいつはこれを見た。 新一は無意識のうちに唇を噛んだ。 切り出したのは新一の方からだった。 平次が大学入学の際に上京して来て、それと同時に新一と平次の関係は始まった。けれど前からお互いの胸のうちに秘められていたことだ。先に表したのは平次で、新一がそれを受け取った形だった。 その頃は、今思えば二人とも目の前の事実で手一杯だった。本来なら男と女の間にあるはずのものを当てはめた少し歪な二人の関係は、だからこそ成り立っていたと言っていいと思う。 そんな関係を続けた学生生活も残りわずかという頃に、新一は言わなければならない、と気付いた。そして言うべきだと、決心したのは他でもない自分自身。 新一が切り出さなければ、それを平次から告げられるようなことはなかっただろう。しかし、新一が言えば否を唱えないともわかっていた。だからそこにつけこんだ。 平次は優しい。 けれど、それは新一にとって酷なことでもあった。 初め、液晶に表示された差出人の名前を目にしたときには、指先が痺れた。 再び画面に呼び出した文字列は、やはり新一の心を締め付ける。 『久しぶりやな。雑誌の記事みたで。元気か?』 ほんの短い文章を、何度も目でなぞった。そしてその度に息が苦しくなる。 国家T種をパスした平次は、警察学校での研修、交番詰めも終え、今は地元大阪の現場で見習い勤務についている。父親が警察庁内の地位のある存在ということで、一般の新米警察とはやはり違った境遇にあり、苦労もあるようだ。 けれど、父は父で自分は自分だと、利用できる境遇は利用するが最終的には自分の力で立ってみせるのだと、そしてそうした警察のしがらみを内部から変えてみせるのだと――学生の頃、平次はそんな大きな野心を口にしていた。 それを実現するため平次が言葉通り難関の公務員試験に受かったときに、新一は決めたのだった。 未来を見つめる平次の瞳、自分の存在はいずれそれを曇らせる、だから。 「……そか、」 平次は新一の言葉を聞いて、そう小さく呟いた。そしてしばらく黙ってから、もう一度新一を見た。 「工藤が、そうしたいんか」 「……ああ、」 噛んだ奥歯の隙間から、新一は何とか声を絞り出した。そう言えば、平次は拒否しない。頭ではわかっていた。けれど心と身体は、そんな思考に逆らおうともがく。 違う、本当は違うんだ、と叫びだしそうになる想いを無理矢理に押さえつけた。ポーカーフェイスで表情を覆う。 平次の見る未来をさえぎる存在にはなりたくない。なによりそれは、自分が辛い。 それ以上は何も言えずにいる新一を、平次はどう思ったのか、わからない。平次の顔を見ることはできなかった。 「……わかった」 そう言う、声だけ聞こえた。 「工藤が、そうしたい、言うなら……」 続ける声に、新一は思わず顔を上げた。側にいたときには、一度も聞いた事のなかった平次の声音に、引き上げられるように。 「別れよか、」 平次は言って、新一の好きな笑顔で、優しく微笑んだ。 そのまま平次が警察学校へ入ったこともあって、連絡は殆ど、いや、全く取っていなかった。情報はお互いの幼馴染を介して入ってくる。しかし姿を見ることはもちろん、声も聞いていない。 雑誌の記事の中に踊った『高校生探偵』の文字。 そう呼ばれていた頃は、同じ立場の平次の顔も名前も知らず、今のように、推理中にふと、平次ならどう推理するかと考えて、逆に思考が止まってしまうようなこともなかった。 そういえば、平次は知り合う以前に新一の顔と名前を既に知っていたのだと思い出す。紙面で見ただけの新一を追いかけて東京にやってきた平次。平次の行動力と勢いがなければ、自分達は知り合うことすらなかったのだ。 きっとあの頃平次にそう言えば、探偵同士の自分達は、そんなことがなくても引き合い必ずどこかで巡り会ったと、そんな根拠のない自信を含んだ言葉が返ってきただろう。本当にそうだったのか、試してみたい気にさせられるような。 平次は記事の中の新一の名前と姿を、どんな風に見たのだろうか。 携帯の液晶の文字を見つめる。 返信ボタンを押そうとして何度も躊躇った。送れば、更にメールは返ってくるだろうか。 けれど、これ以上平次からの言葉を目にすれば、声を聞きたくなる。 電話越しの声を聞けば、顔を見たくなる。 顔を見て、あの新一の好きな笑顔をまた、向けられれば。 きっと、好きになる。 以前と同じように。もしくはそれ以上に。そしてきっと、そうなればもう二度と、平次に逢えないということには耐えられなくなってしまうだろう。 今度こそ、平次の未来の妨げになろうとも、それ自体が新一自身を苦しめようとも、だから。 新一は、携帯のフリップを閉じる。 ソファの上で、蹲るように膝を抱く。手の中で握り締めた携帯電話を額に当てて目を閉じた。 逢えない、 そう思った心は軋んだ。 (07/2/25) The idea origin is smooth ace, "aitaine". |