大阪発東京行 車両は風を切ってぐんぐんと走る。窓から見える景色は次々に後ろへと流れていく。流れるごとに、東京に、彼に、近づいているのだと思うと心が逸る。座り込んだ座席が落ち着かず、足を組みなおした。 高々二時間と少しの間。いつもなら読書や睡眠で過ごしてあっという間の時間なのに、今日は眠気もなく、本を手に取る気にもならず、落ち着かない心はただ今か今かと目的地に到着するのを待っている。 気持ちは駆ける。 東京行きを決めてからここ数日、いつになく気分が高揚していたのを幼馴染に指摘されもした。なんかええことでもあったん、と怪訝そうに訊ねてきた和葉の顔を思い出す。どうやら、周りにもすぐわかってしまうくらいに浮かれているらしい。自覚はしていた。ただ、自分でもどうしてここまで気持ちが高まるのか、よく把握はできていない。 彼に会いに行く。ただそれだけのことで、こんなにも心が騒ぐ。 今までも、東京行きの新幹線に乗り込んだことは何度かあった。けれどそのときのどれよりも強い高揚感が身体を包む。それは、本当の彼、に会えるための緊張と興奮によるものなのか、それとも。 とにかく今は、早く東京にたどり着いて彼に会わなければ、この高揚は収まりそうにもなかった。背もたれに肩を押し付けて息を吐く。 車内販売の女性乗務員がワゴンをゆっくりと押してくる。斜め前の席に座った初老の夫婦がワゴンを止めてコーヒーを頼んでいた。 電光掲示板は、後一時間程で東京駅に着くことを知らせている。 丁度寝てしまおうとベッドに潜り込んだところだったので、着信を告げた携帯電話を手に取るのが遅れた。更に、表示された「非通知」の文字に躊躇う。 「誰や、こないな時間に……」 それでも鳴り止まないので、平次は仕方なく通話ボタンを押してそっと耳に当てた。 「もしもし?」 『遅ぇ、』 電子音に少し篭って、一番に聞こえてきたのはそんな一声。 およそ電話をかけて来た者の発する第一声とは思えない。しかし、その声が記憶の中の物と一致したとき、驚いて携帯を取り落としそうになった。 「……工藤か!?」 『他に、誰に聞こえるってんだよ』 どう話せばいいのかわからないのを隠すような、ぶっきらぼうな声。機械越しでは何度か聞いた。肉声で聞いた機会は多くない。 聞こえてくる声は、電話越しでも機械を通しているわけではないとわかる。そもそも、平次にわざわざ機械越しの声で電話をかけてくる理由はない。それらが指す事実はひとつだった。電話の向こうにいるだろう平次と同い年の新一の姿を思い浮かべて、わけもわからず緊張してしまう。 新一とはもう気の知れた友人、もしくはそれ以上であるし、今更緊張することなどないのだが、今まで主に向き合ってきたのは平次の腰下辺りまでの背しかなく子供の高い声で話す新一だった。何も変わることはないとわかっていても聞き慣れない声音に、いつものようにスムーズに言葉が出てこない。 多分、向こうも同じような心持なのだろう。ちゃんと「工藤新一」の姿を持って平次と接したのは数えるほどだ。以前、短い時間だったが本来の新一と顔を合わせたこともあったが、それはどれも事件の最中であったので、友人としてというよりも探偵同士として接することができていた。 「なんで非通知やねん……びっくりするやろ」 言うべきことを差し置いて、そんなどうでもいい言葉が口をついて出てしまう。 『ああ、悪ぃ。家電からなんだけど、非通知だといろいろ便利だから』 一体何に便利だというのか。そんなことを思いながらも小学生の姿のときとは明らかに違う声に、改めて向こうに立つ新一を感じる。 「戻ったんやな、」 『……ああ』 戻れるかもしれない、とは聞いていた。詳しいことは、平次は知らない。しかし、新一の身体を縮めた薬の成分がわかったため、解毒薬を調合できるということだった。 当事者でない平次があれこれと騒いでも仕方がない。上手くいけば連絡のひとつも寄越すだろうと、この大阪で大人しく結果を待つことにしていた。気にならないということはなかったが、何をできるわけでもなかった。 「いつ戻ったん?」 『一応、戻ったのは一週間前。それからは様子見、で、今日、もう完全に工藤新一としての生活に戻しても大丈夫だろうって、灰原のお許しが出た。……お前にはいろいろ世話んなったから、報告しとこうと思ってよ』 最後の方に、新一はもごもごと何か付け足そうとしていたが、ちゃんと言葉にならずに消えた。どうやら、感謝の言葉を言いたかったらしい。素直に告げられない様子に、思わず笑いそうになって、緊張が少し和らいだ。 「ロスにいるとかっちゅう、親御さんにも報告したんか?」 笑いを堪えて訊ねる。 『いや、わざわざ国際電話かけんの勿体ねぇし。そのうちまたひょっこり戻ってくるだろうから、そんときわかるし、いいだろ』 まるで素っ気無い新一に、今度は苦笑が漏れた。両親が長く海外に離れて暮らしていると、そんなものなのだろうか。放任主義な工藤家の一面、という気もする。 「あの姉ちゃんには?」 『……蘭か?』 本当はとっくに連絡を入れているのだろうと予想していた。小さな姿で側にいることを強いられていたとき、あんなに本来の姿で、声で、接することを望んでいたのだから。 しかし新一の返事は冴えないものだった。 『まだ、』 意外に思うが、単に気恥ずかしいだけなのかもしれない。偽りの姿でずっと側にいたことを気まずく思っているということもあるのだろうか。 そのまま黙ってしまった間を埋めるように話題を探して、ふと気付く。 「……てことは、俺が一番なんか?」 『何が?』 「戻った、て報告してくれたん」 新一は少し言葉を切った。 『……そういうことになるな』 そもそも新一が子供の姿になっていたという事情を知る人間は少ない。隣人の阿笠博士と薬の開発者の灰原は、当然新一が元の姿に戻る経緯に関わっているのだろうから、他に新一が元に戻ったことを連絡すると思われる人間は両親か、事情を知らせてはいないものの大切にしている幼馴染か。その二人以外なら自分しかいない、と思っている。 新一の秘密を知るようになったのは、元はと言えば、平次から首をつっこんだからだった。それ以前は知り合いとも呼べない関係であったし、自分が暴かなければ新一から知らされることもなかったと思う。 しかし今は、探偵として、友人として、新一に近い人物の中に入っていることを自負できる。思えば、ただ身体の動くままに行動していた昔の自分を褒めてやりたい。 そんな中で、新一が元に戻った事実を、理由はどうあれ一番に連絡してくれたことが、何故かとても嬉しく感じることに気付く。 当然連絡すべき両親や、あんなに想っていた幼馴染よりも先に電話をしてきてくれた。そう思うと同時、言葉が口をついた。 「な、明日、そっち行ってもええか?」 『は、明日?』 突然の平次の提案に新一の声が跳ねる。 『明日平日だろーが。お前、学校あんだろ、』 「んなん、一日くらい休んだってかめへん」 『もう今日だって遅ぇし』 「行って帰るだけなんやし、準備もそういらんやろ」 『……俺だって、まだ検査とかもあんだよ』 そう言われてしまえば、それ以上押すことはできなかった。 「そんなら、仕方あらへんか。わかった、我慢しとくわ。……ちゃんと元戻った工藤の姿、見に行きたかってんけど」 ぽろりと零す。素直に思ったことだった。今、電話の向こうで話している、彼に会いたいと強烈に思った。 ふ、と受話器の向こうで息遣いが聞こえる。 『……なら、』 「え?」 小さく呟かれたのを拾えず、訊き返した。 『週末なら……来てもかまわねーけど』 どこか気恥ずかしそうな新一の声。平次は知らず頬が緩むのを感じた。 「ホンマか?ほんなら、土曜に学校終わったら即効でそっち行くわ」 『授業、サボんじゃねぇぞ』 そう言う新一も、言葉の調子は明るい。 新一に会える。週末が、待ち遠しくてならなかった。 少し転寝していたことを知る。 新幹線は東京駅のすぐそこまで来ているらしかった。車内アナウンスが、終着を告げている。 本当に会えるのだ、と実感する。 土曜の午前だけあった授業を終えてそのまま新幹線に乗り込んでいた。学生服のままの姿の自分を、通路を過ぎるサラリーマン風の男がちらりと目に留めていく。そんなことも気にならない。 高まる気持ちを持て余しながら、この二時間と少しを過ごしていた。想いが東京へ向かうのを止められない。 ふと、以前にもこれに似た気持ちを持ってこうして東京に向かっていたことがある、と思い出す。 そうだ、あれは確か、初めて新一に会うために上京した日だ。 記事の中だけで見た、写真の彼を求めて、新幹線に飛び乗った。あの時と同じ。工藤新一に会える、そう思って胸を高鳴らせていた。 そのときも思っていた。何故彼に会えると思うだけでこんなにも気持ちが逸るのか、わからない。 しかしこの気持ちに付けるべき名前が、何かあったような気がする。なんだったかと頭の中を巡らせた。 列車がホームに到着する。 まとめていた荷物を手にとって、ぞろぞろと車両から降りて行く乗客に続く。ホームに足を下ろしたところで、頭にふっと浮かんだ言葉があった。 敢えて充てるとすれば、この気持ちにはこの言葉が一番しっくりとくるのかもしれない。半分冗談交じりに、心の中で笑う。 そうだこれは、恋、と。 (07/3/11) |