boy of the snow



 建物から外へ出ると、空からの白が辺りに降り注いでいた。街に淡い白が重なってゆく。
「ずいぶん冷え込む思ったら…降ってんで」
「初雪、だな」
 隣でそう言葉を漏らして、新一が白い息を吐いた。天を振り仰ぐ。
「今日は鍋で正解やな」
「ああ、さっさと帰って準備しようぜ」
 そして、たった今買い込んだばかりの食材の入った袋を揺らして、雪の舞う街に踏み出す。平次もその後に続いた。平次が下げた袋の中では、ストックがなくなる頃だと買い足したアルコール類の缶や壜が、がちゃりと触れ合う。
 こうして二人同じ家に帰るようになってから、もう二年近くになる。めったに両親の帰らない新一の家は、東京に出てきた平次が部屋を借り始めてからというものすっかり二人の家になってしまっていた。
 並んで歩きながら、寒い、と新一がコートの前を掻き合わせる。
 雪の散る中その横顔を目に入れたとき、平次はふ、とある少年のことを思い起こした。
 心の隅にずっと引っかかっているその存在は、雪の降る日はつい思い出しやすい。毎年冬に思い出しては気になりつつも、気付けば再び記憶の中に戻って行く。
 ただの思い出の出来事として、記憶にしまっておくだけのものとしておけばいいとは感じる。しかし探偵として気になり続けてしまうのも仕方の無いことだと思う。つまり、その少年が一体どこの誰であったか、ということを。
 おそらくほんの数秒、そのことを考えていた。そこに新一の声が割り込んだ。
「……今年はどうすんだ?」
「クリスマスか?」
 そこまで深い思考にはまっていたわけではなかったので、すぐに反応する。
 おもちゃ会社の策略、もしくは恋人達の一大イベント、クリスマスはもうすぐそこだ。街はすっかりクリスマスシーズン一色。
「去年みたいな――」
「のは、却下な」
「さいでっか…」
 希望を窺おうと引き合いに出すと、一刀の下に切り捨てられた。
「見せもんになんのはもうごめんだ」
「ま、それは俺も同意や」
 少し拗ねたような表情の新一に苦笑しつつ、返す。
 去年のクリスマス。多分、浮かれていたのだと思う。なんせ、初めてのイベントでクリスマスだったので。
 二人が想いを確かめ合い、つまり、世間で言うところの恋人同士となってから。
 少し値の張る店でのクリスマスディナー。少しだけ特別な日を彩る演出。そんなロマンチックな思考は、どちらかといえば新一の方が持ち合わせていたものだった。新一は記念や、特別、といったもの達を思いの他大切にしている。
 そんな新一をほほえましく思うし、平次自身も嫌という気はしないので、一年前はそんな流れのうちに店を予約しそこへ赴くことになった。
 平次も新一も、家庭環境、特に経済状況にしてはよく恵まれていたので、そうした店に行くことに臆するようなことはない。そして新一の両親もよく利用していたというフレンチレストランは、特別に見合う時間を過ごすに期待できる場所だった。
 問題は、その日がクリスマスという日だったことと、付き合い始めで浮かれていた自分達にいくらか欠如していた、もっと実感として認識しておかなければならなかった事実があったことだ。
 クリスマスのディナーとして、人気もあったその店は、当日は予約のカップルでいっぱいだった。 そこに男二人が紛れ込めば、浮くのも当然。
 周囲の好奇の視線をありありと感じ取ってからそれを認識するという、なんとも間抜けな様だった。
 しかし、大抵の人々が好奇の目を寄せるのは、初めのうちだけ、後はそれぞれの時間へと移って行き、次第に感じる視線も薄れる。知り合いなどがいればそれはまた違った意味でまずいことになるが、その場限りであれば、気にせず自分達の時間を楽しめばいいのだと開き直れる。
 そんな調子で、なんだかんだといいつつも良いクリスマスを過ごせたと平次は思っている。新一だって、そうだろう。
 そもそも新一には、自分達が男同士であるということを恥じるような節は見受けられなかった。クリスマスのことにしたって、新一の両親が客であったような店を躊躇い無く予約しているのだ。
 有名人でもある工藤夫妻の足を運んでいた店だ、それと告げなくとも「工藤」と名乗り姿を見せれば息子だと分かられる可能性は高い。だからといってそこをわざと避けるようなことをせずに、ここがいいから、と迷わず決めていた。もちろん、詮索してくるようなことはないという信頼もあったのだろう。
 そんな新一でも当然、他人の無遠慮な好奇の目を集めていい気になれるわけがない。好奇心の塊のような自分達が言えるようなことではないけれど。
「まあ、去年は去年で楽しかったけどな。わかっとんのに進んで目立ちに行くのは、俺かて気ぃ進まん」
 新一も同じく思ってるだろうことを声に出す。でも新一が行きたいといえば、行ってもいいとは思っていたが。
「クリスマスっつーのがいけなかったんだよな。どうしてこうどこに行ってもカップルだらけになるんだか」
「俺らかて、そうやん」
 そう新一を突っつくと、不満そうに口を尖らせた。
「だから、困るんだろーが…」
「したら、今年は家で過ごそか?」
 思わず笑いを漏らしながら提案する。
「そうだな、適当に食いもん買ってきて」
「ケーキもな。…そういや工藤んちってクリスマスツリーとかあるん?」
「え…ああ、あったかな。昔はやったらでけぇの出してたけど……もうずいぶん出してないから、まだあるのかわかんねー」
「せっかくやし探そうや。クリスマスにはやっぱりツリーやろ」
 子供くせえ、と新一が笑う。平次もそれにあわせて笑った。
 その後、ふ、と新一が息を吐いて平次に顔を向けた。
「、で?」
 あまりに簡潔な促しの言葉に、平次は一瞬うろたえてしまった。
「な、なんや?」
「……さっき、俺の顔みて、なんか考えただろ。なんだ?」
 ほぼ直感のような新一の鋭さに舌を巻く。自分でも意識を飛ばしたのは一瞬のこと、と思っていたのにそれを拾い上げられて、流石、と思うと同時に少し悔しくもある。
「いや、たいしたことあらへんし」
「なんだよ」
 新一は食い下がる。こういうときは言わなければ新一は機嫌を損ねる確立が高い。特別隠さなければいけないことでもないし、と平次は観念することにした。
「ちょお、思い出したんや」
「何を?」
「前に、工藤にも話したやろ?中学のスキー教室んときの事件…そんとき、同じ中坊で頭の切れる探偵がいたって話や」
「……ああ、」
 すると、平次の言葉を聞いて急に興味が失せたように、新一の返事は歯切れが悪くなった。食い下がった割に反応が薄いことをいぶかしみながらも平次は続ける。
「結局顔もよう見れんかったから、どこの誰だかわからずじまいやったけど……たまにな、そいつ今どこにいてんのやろって考えてまうんや。どっかで俺らみたいに探偵してんのやろか、てな」
 中学のスキー教室のときに起こった殺人事件。その事件を自分と同じ中学生が捜査していると聞き、まだ幼かった平次はライバル心を抱いた。
 同じ現場にいながら結局姿を見ることのなかったその探偵。事件の真相は平次も解いたが、彼もまた同じタイミングで推理の糸を巡らせていた。
 しかし、自分は父親にヒントを与えてもらって初めて事件の全てを掴むことができたのだ。そのことに、一人で解いたその中学生の方が自分より勝っていると感じ、悔しさを抱いた。
 しかし実際はそれだけではなく、同じ年頃で同じように推理を得意とする少年がいたことに、ある種の喜びを感じていたのだ。
 自分の思考力を充分に戦わせることのできる相手、しかも同年代に出会えた嬉しさは、平次を高揚させていた。
 必ずまた会えるという直感めいた自信から、最後まで姿を確かめようとは思わなかった。しかし結局は、それから今に至るまで、その少年が何者だったのかを平次が知る機会は訪れていない。
 事件の日に同じくスキー教室に来ていた他の中学校を調べ、そこから当たればきっとすぐに彼の正体に行きつけただろう。しかし、初めはいつか会えるという確信から、最近は、もう思い出として残しておく方がいいのかもしれないという思いから、平次は積極的にその少年のことを調べることはしなかった。
 それでもやはり、こうして気になってはその姿が脳裏を掠める。吹雪の中ですれ違い、はっきりとは見えなかったけれど、一瞬だけ目にしたその少年の姿が。
「ふうん、」
 素っ気無い言葉が割り込む。気付けば、新一はうっすらと白の積もった黒いコートの背中を見せて、ずいずいと道を数歩先に進んでいた。
「なんや、自分が聞くから答えたんやん」
 平次はその背中に追いすがる。興味ないといった装いの新一の様子は、どうやら機嫌がよくないようだった。
「何怒っとるんや」
「別に怒ってねー」
「怒っとるやん」
 理由が分からず、頭を巡らす。ふと思いついたことを口に出してみた。
「やきもちか?」
「違う、馬鹿」
「馬鹿言うなや」
 思い切り否定されて、多少凹む。照れているというわけでもないようだ。
「なんやっちゅーねん…」
 白旗を揚げて呟くと、新一はくるりとこちらを振り返り、そして平次を見据えて言った。
「……お前さあ、今までに一度も、その中坊が俺かもしれないってことは、考えなかったわけか?」
「は?」
 一瞬理解ができずに、間抜けな声を上げてしまう。新一はそれに更に苛立ったように声を荒げた。
「だから、なんでその探偵が俺だっていう選択肢がねえんだよ!」
 新一の言葉を噛み砕いて、ようやく頭に行き渡る。そして、新一がそのように言ってくるわけに思い至って、平次は混乱した。
「え?やって…、んな都合のいい…」
「都合いいとか悪いとか関係ねえだろ、同じ年で探偵……そっから充分考えられるじゃねえか」
 口の中でぶつぶつと呟くように新一は言う。それくらい、簡単な推理で導き出せることだろう、と。
「ほ、ホンマに?うそやん」
 うろたえる平次に、息ひとつ吐いたのが答え。
「せやかて、前に話したとき工藤、自分やなんて一言も、」
 そのことを言うと、新一は視線を横に泳がせた。
「……言えっかよ、」
「なんで?言うてくれたらよかったのに」
「それは…」
 躊躇って言葉を切ってから、雪の積もる地面に吸い込ませようとするように、下に向けて早口で新一は言う。
「おめーが……ずいぶん大事な出来事みたいにしゃべるからだ」
 言って、平次にさっと背中を向ける。少しだけ耳が赤く染まっていた。
 幼い頃の思い出を、大切に語られたことへの気恥ずかしさ、事実を伝えればその思い出に水を差すことになるかもしれない、という遠慮。そんなものがあったのだ、と言う新一。
「寒いし…さっさと帰るぞ、」
 そうして新一はさっさと足を動かす。その雪の中の姿が、ふっと記憶と重なった。
「工藤!」
「わっ」
 後ろから腕を伸ばし巻きつけてぐいっと引き寄せると、新一はたたらを踏んだ。
「なにすんだよ、」
 平次の胸に少し体重を預ける格好になった新一が、抗議の声を上げる。平次はそれに笑いかけた。
「せやかて、嬉しいし」
「な、何が」
 頬の染まった新一の横顔を楽しむように眺めて、告げる。
「あんときの探偵が、工藤やったなんて、ホンマ、運命なんちゃうんかて思うて、」
 湧き上がる喜びに任せた言葉は、新一の頬を更に染めさせた。
「ばーろ…」
 気付かなかったくせに、と憎まれ口を叩くのに堪忍、と謝りながら腕に力を込める。
「俺は結構すぐに気付いたって言うのに…」
 そしてぽそりと呟かれた言葉。微かに吐き出されただけのそれは、聞き逃しそうにもなったが、耳を寄せていた平次はしっかりと拾った。
「工藤?それって…」
「ほら、放せ。腹減ったし、行くぞ」
 聞きとめる前に、新一は平次の腕を振り解いて離れてしまった。
「……せやな、早く鍋しよ」
 まあ、その辺りは後でゆっくりと聞いてみることにすればいいか、と白く色づいた家路を急いだ。





(07/12/6)