time after time




「なあ、服部。お前は生まれ変わりって信じるか?」



 まるたけえびすにおしおいけ
 あねさんろっかくたこにしき
 しあやぶったかまつまんごじょう
 せったちゃらちゃらうおのたな
 ろくじょうひっちょうとおりすぎ
 はちじょうこえればとうじみち
 くじょうおおじでとどめさす

 耳に蘇る唄。この光景を目にするとその独特の節を、反射的に思い出してしまう。淡い初恋の思い出、しかしそれは今は平次の胸に大切にしまわれるだけのものだ。
 淡い花びらが風に舞う。それを苦い思いで見つめた。一年前、散り去った桜の下で儚く笑った彼が重なる。その姿は平次の胸を生々しく突く。
 山能寺の境内、裏手に立つ大きな桜の木はその花を次々に咲かせていった。桜の花が咲くに連れて、平次の心には焦燥が生まれていた。
 工藤、お前今、どうしてんのや。
 最後に見たのは子供の姿。しかしその瞳は平次と並び立つ色を宿していた。
 周りの人間に対して「子供」を演じるために彼がかけていた眼鏡。桜の木の下、それを取り払った目で平次を見つめた彼は、とても無防備に見えた。
 鎧をまとわない、工藤新一という人間のそのものの瞳。
 それは彼の言葉と共に、平次の心に鮮やかに残る。


 新一はじっと花の散った桜の木を見上げている。青い葉をつけるそれは、春の終わりを告げている。
 未だ、平次の腰辺りの背しか持たない身体のままの新一。しかし今はコナンの仮面を脱ぎ、他に人の見えないこの場所に、工藤新一として立っていた。
「桜、散っちまってるな」
 見上げながらぽつりと呟く。独り言かもしれなかったが、平次はそれに相槌を打った。
「ああ、もうちょお前やったら花も少し残ってたんやけどな、」
「そっか…まあ、もう春も終わりだもんな」
 名残惜しそうに目を細める。
 春の京都で新一は平次と共に事件をひとつ解決していた。もちろん子供の姿であった新一が直接関わっていたことは多くの人間は知らないことだ。
 事件を追いかけて新一と共に京都のあちこちを巡った。そのときには、淡色の花びらはそこかしこに舞っていた。そのときの情景を思い出す。
 平次の初恋にも関わりがあったその事件には、桜の色が強く残っている。
 朝、然新一から京都にいる、と連絡があった。初めは毛利探偵事務所の面々と観光にでも来ているのかと思った。しかし、山能寺の裏手に来い、と呼びつけられた平次が行ってみると、そこにいたのは彼一人きりで。聞くと、一人でやってきたのだと言う。
「一人できたて…大丈夫やったんか?」
「ばーろ、俺は子供じゃねえ」
 しかし見た目はしっかりと子供だ。
 一人でここまで出向いてくるなんて蘭たちは心配で許さないだろうし、それを黙ってわざわざやってきたのかと思っていると、新一は「もうコナンは蘭たちのところにはいない、」と言った。
「両親の元に帰ったことにしてある」
「てことは……」
「解毒剤が完成したんだ」
「ホンマか!」
 平次は思わず喜びの声をあげたが、新一の顔色は冴えない。
 黒の組織を壊滅させた時に手に入れたデータで、灰原が新一を元の体に戻すため、解毒剤の完成品の調合に本格的に取り掛かったと聞いていた。
 新一は元の体に戻ることを強く望んでいた。だから、平次もそのことを聞いて喜んでいたのだ。しかし、その待ち望んだものが完成したと伝える新一の言葉は、どこか力無い。
「なんや、悪いことでもあるんか」
「……灰原は、おそらくこれ以上の解毒剤はできないって言っている」
「せやったら…」
 新一は小さな姿に似合わない、自嘲気味な笑みを口元に浮かべた。

「それでも、完全に元に戻れる確立は、30%程度だそうだ」

 言葉を無くした。
 何も言うことのできない平次の前で、新一は地面に目線を落としたまま続けた。
「解毒剤を飲むと、眠りにつく。その間に少しずつ薬で縮まされた体の組織を成長させて、上手くすれば一、二週間後には元の高校生の姿に戻れるそうだ。これ以上の急激な変化は、負担がかかりすぎて危険ってことらしい。何度か、一時的に身体を元に戻していたからな」
 新一は一度口を閉じ、再び開く。
「けれど、戻ってもまたすぐ子供に逆戻りする場合もあるかもしれない。上手く身体が成長しない場合も。最悪の場合は…、眠ったまま、目覚めないこともある」
「そんな…」
 新一の言葉に衝撃を受け、ぎり、と拳を握る。新一は平次を諌めるように弱々しくも笑みを浮かべた。
「仕方ねえよ。俺以外に被験体もいないし、灰原はできる限りのことをやってくれた。あいつの仕事は信頼できる。それでも結果がそうなってしまった場合は、仕方ないさ」
「仕方ないて…そんなわけあるかい!」
 そもそも、新一の身体が小さくなってしまったのは黒の組織が元凶だ。彼がそんな風に仕方ない、と笑うことはない。今はもう無い組織を憎む不毛な思いが平次を支配する。
「……それでも、俺は、解毒剤を飲む」
「工藤……」
 きっぱりと言い放った新一の瞳には、崩せない意思が見えた。
 自分自身を取り戻すため、そして、平次と対等な立場でありたいために。
 平次は、身体は小さくとも新一は新一であると思っていた。例え解毒剤が手に入らなかったとしても、自分にとって新一には変わりないと。しかし、新一は「俺自身が、そう思えない」と元の姿に戻ることを頑なに望んでいた。
「お前と並んで歩けるように、なりたいんだ」と言った新一の熱の持った瞳は、平次の心を熱くさせた。
 とめても無駄だとわかっていた。しかし、命の危険すらあるそれを新一に飲ませることは、平次の胸に重く沈む。それでも、黙って事を進められてしまうよりはどんなにもマシだった。
 30%。絶望的な数字ではない。だが、安心して待つには少なすぎる確立。
 新一を失うかもしれない。その想像に平次は目眩がした。まさか、そんなことになるはずがない、という思いも同時に生まれる。しかし新一の喪失という想像は、平次の心をひどく焦燥させる。そんなことになれは、いったい自分はどうすればいいというのか。
 本当は縋り付いてでもやめてくれ、と言いたかった。元の姿に戻らなくとも、新一は新一であるのだからと。
 しかし新一はそんな平次を望んでいない。そして子供の姿のままで甘んじる自分自身も許しはしないだろう。
 平次は衝動をなんとか押さえ込もうと口を結んだ。
 新一は、葉をつけた桜の木を見上げた。そしてゆっくりと口を開いた。
「服部、俺さ、」
「…なんや?」
「京都の桜、また見たい」
 そう言って笑った新一に、平次は精一杯の笑顔を浮かべた。
「せやな……俺も工藤とまた見たいわ。来年は一緒に花見しよな。京都観光もええなあ」
 それは叶うことなのかわからない。しかし平次は嫌な想像を頭から締め出した。
「身体が元に戻ったら、半年は経過を見なきゃなんないらしい。その間は無闇に外出できないって灰原は言ってた。眠っている期間は長くて五ヶ月だそうだ。……それ以上経っても目が覚めないときは、もう希望はないってことだ」
 五ヶ月。長くても五ヵ月後には結果がわかる。
「来るなよ、」
「え?」
「東京には来るな」
 真っ直ぐに平次を見つめて新一が発した、思いがけない言葉にうろたえた。
「なんでや、」
「お前にはこっちで待ってて欲しいんだ。俺の、我侭なんだけどな」
 付け加えられた言葉は平次にすまなさを表しながらも、新一はその要望を取り下げる気は無いようだった。平次が会いに行きたいと訴えても、きっと聞き入れはしないだろう。
 こういうところはホンマ強情なんやからな。
 平次は内心でこっそりため息をつくと、仕方ないと笑って見せた。
「わかった。工藤がそうして欲しい言うんやったらな」
「ありがとう…ごめんな」
「謝るなや。俺かて工藤んこと待っとってやりたいんや」
 殊勝言う新一に告げると、新一は面映いといった様子で少し笑った。
「来年、桜が咲いたら、こっちにくるから……そしたら、一緒に見よう」
「ああ、待っとる」
 だから、勝手にいなくなるなんてことはするな、と平次はそっと瞼を閉じた心で願った。
 新一は飽きなく木を見つめている、と思うと、柔らかい声で言った。
「なぁ、服部」
 新一が、綺麗に笑んでいた。

「お前は、生まれ変わりって信じるか?」

 桜の花を思わせる、儚い笑顔だった。

「生まれ変わり…?」
「ああ、輪廻転生、生死の繰り返し。仏教だとそれから開放されることが浄土へ行く、救われるという考えらしいけどな」
「……工藤は信じとるのか?」
「否定する材料はないと思ってる」
 彼らしい答えだった。
「確かに…誰にも死んでからのことなんてわからんからな…」
 死、という単語は心を刺す。
 考えたこともなかった。今まで、関わった事件などで何度も危ない目には会ったことがある。しかし、確実な死を実感したことはない。
 新一はその死に今、直面しているのだった。そうでありながらも、元の身体に戻ることを諦めない強い意志。
「もし俺が生まれ変わったら…」
 新一は再び桜の木の枝に視線を這わせた。愛しむように。
「お前に、また会えるかな」
 細めた瞳に浮かんでいたのは痛みだった。
 平次は気付いた。死という想像は彼の心をも鋭く刺している。元の身体に戻るという意志で覆い隠しながらも、その言葉は新一の胸に確実にあった。
 当たり前のことだ。新一自身が一番不安であるはずなのだ。
 平次は木を見つめる新一の前に跪いた。そしてその小さな身体を掻き擁く。
「服部、」
「もちろんや」
 耳元で焦燥のまま言うと、小さな手のひらが背中に沿わされるのを感じた。
「俺は例え生まれ変わろうと、工藤んこと見つけ出したる、必ず」
 例え、別の姿であったとしても。自分は新一を探し出して見つけるだろう。そして、その手を必ず掴む。離さないようにしっかりと。
 肩口で新一が笑む気配がする。
「頼んだぜ」
 名探偵、と軽口めいて言われる。平次はゆっくりと新一を解放する。
「任せとき」
 瞳を見て、にやりと笑んでやった。新一の瞳が細まった。
「必ず、戻るから」
 強く言う。


 桜が舞う。
 境内の桜はすっかり咲き誇っている。しかし、新一からの連絡は、未だ何も無かった。
 平次は桜の花が咲き始めると、それに吸い寄せられるように毎日この場所へと足を運んでいた。
 桜、咲いたで工藤。
 だから早くこちらへ来い。その姿を見せて欲しい。
 最悪の事態がじわじわと平次の胸を騒がせる。新一に限って、と思うがそう思える明確な根拠なんてないのだ。
 しかし平次は信じていた。「必ず戻る」と強く言った新一を。
 平次は桜がよく見える格子窓の下に腰を下ろした。上から花が淡く舞い落ちる。地面に吸い込まれるように落ちていく。
 それを瞼の裏に映しこみながら、ゆっくりと瞳を閉じた。





 まるたけえびすにおしおいけ
 あねさんろっかくたこにしき
 しあやぶったかまつまんごじょう
 せったちゃらちゃらうおのたな

 ふ、と意識が浮上する。耳に歌声が聞こえてくる。
 ぼんやりと瞼を開けると、目の前には淡い色。一面に舞っていた。
 ああ、どこかで見たことのある光景だ。記憶の中の情景とよく似ている。聞こえた唄も。
 しかし記憶のものとは違う、不安定で少し調子の外れた節に、くすりと笑いを漏らした。
「下手くそやなあ」
「悪かったな、」
 唄を口ずさんでいたその声が答える。笑む気配がした。
 舞い散る花びらの中、すっと立つ姿。それは平次がずっと待ち焦がれていたものだった。一瞬にして目を奪われる。
 真っ直ぐに見つめて、笑いかけた。
「……お帰り、工藤」
「ただいま」
 とても綺麗な笑顔。
 上から差し伸べられた腕を掴んで引き寄せ、その身体を離さないようにしっかりと捕らえた。

 満開の桜が、辺りを染め上げていた。








(06/11/7)