ふわり、と白い羽を広げて降り立つ。 眼下には星を散りばめた街並み。見上げれば、ほんの少しだけ欠けた月が浮かんでいる。 約束の時間まで、あと数分。彼があの「手紙」を受け取ったならば、時間に厳しい彼のこと、遅れることなく現われるはずだ。 月を見上げる。今日は翳す宝石もないが、キッドとして幾度と見上げているその光は、淡く辺りとキッドの衣装を身に纏う自身を包んでいる。 「綺麗な月夜ですね」 ふいに背後にかかる声。 この屋上に続くドアから姿を現したのは、待ち合わせの相手である彼だった。 「君からお誘いをいただけるなんて、光栄ですよ」 滑らかに紡がれた言葉が、耳に届く。 月を背にして、彼に向き直った。 「こちらこそ来ていただけて嬉しいです、白馬探偵。手紙は、ちゃんと読んでくださったようですね」 探は口元に優雅な笑みを浮かべた。 「一応これでも探偵ですから、ね」 モノクルの下の瞳を暴くかのように、こちらを真っ直ぐに見つめてくる。 「……kid to nipper detective,」 呟くように発せられた言葉から、淀みなく探の声は続いた。 「……nipperとはQueen’s Englishでkidの意、kid to nipperとわざわざ対で書かれていることから見ても、イギリスに関係のある子供の探偵…つまりあの手紙はイギリスから一時帰国中の僕宛のものと考えられます。 ヴィクトリアが鐘を聴くとき、というのは同じくイギリスから連想できる、恐らくこの場合ロンドン国会議事堂の南にあるヴィクトリア・タワー…その向かい、北に位置するのは有名な時計塔、ビッグ・ベンですからね。鐘の音はこの時計塔のものということでしょう」 月の光に晒されたステージで、探はゆっくりと歩を進めた。キッドはそれを一歩下がった場所から見る。 「躊躇いの月と共に……これはいささか理解に時間がかかりましたが、他には記されている様子のない日付を現す言葉だとすれば考えられるのは月齢…。日本の呼び名で、満月の次の日、十六夜にはいさよう…ためらう、という意味があるそうですね。満月より出の遅い十六夜は躊躇いの月と考えられる。 つまり記された日時は、十六夜である今日、ロンドン、ビッグ・ベンの正午の鐘が鳴る時、つまりロンドンとの時差が九時間である日本時刻、午後九時ということになります」 確認を求めるように探がこちらを窺っている。それには答えず、続きを待った。 探は少し笑むと、続けた。 「そして場所を表すと考えられる、硝子の輝きを持つ偽りの花…。偽りの花は造花。硝子の輝きを持つ、という言い回しから硝子の造花そのものではなく、硝子に似たそれを指していると思われます。思いつくのは、ワイヤに合成樹脂の膜を張って作られるアメリカン・フラワー。アメリカン・フラワー、つまり米花。花を見下ろす……米花町で一番高い場所であるここ、米花スカイビルの屋上。 ……そういうことですよね、キッド?」 「……御名答、流石です」 最後まで聞き終えてキッドは拍手を送る。 気付けば、探は数歩先まで近づいていた。あと少し近づけば、手も伸ばせる距離。しかし探はそれ以上寄ることはなく、キッドも立つその場所から下がることはなかった。 「しかし…わざわざこのようなものを、彼らに知られる危険を犯してまで警察に送らなくとも、話があるのなら僕に直接言ってくれて構わなかったのですが」 挑発の色も含んだその台詞。君にはそれができたでしょう、と暗に言われている。 昼間は黒羽快斗として探と接している自分なら、その機会はいくらでもあるだろう、と。探は快斗がキッドであるという疑いをいつまでも持つのをやめない。彼がそう考え続けそう接する限り、それを認めてやるつもりはなかった。 「貴方なら警察より先に気付き、そして必ず一人で来てくださると…そう信じていましたから」 そんな台詞と完璧な微笑で煙に巻く。 実際は、彼がそうするか試すつもりもあった。警察を連れることなどせず必ず一人で来るとわかっていた、けれども本当にそうするか試したかった思いがあったのだ。 そして実際、彼は一人でやってきた。自分で試しながら、そこに安堵があるのに気付いた。 「……それにしても、いささか大胆すぎやしませんか?警察を仲介人にして、怪盗が探偵を名指しで呼び出すなどと」 探は言って、そして自嘲的な笑みを浮かべる。 「まあ、いつだって大胆不敵な君のこと……。このくらいは、やってのけて当然のことなのかもしれませんが…」 「そんなことはありませんよ、」 思わず口を挟んでしまう。言うつもりはなかったのだから、本当にこれは思わず、だ。 キッドは背後の月に身体を向け、そして再び探に顔を向ける。月のささやかな逆光で、表情までは見取られていないだろう。 「……書いたでしょう、躊躇いの月と共に、と」 口元には笑みを崩さず、告げる。 「…そうでしたね、」 同じく笑みを浮かべて言うと、探はキッドを射るように見る。 「それで…こうしてわざわざ僕と会ってくれるのは、何か話があるからではないんですか?」 そう尋ねる探は、答えを知っているように見えたが、キッドはそれを指摘はせずに答えた。 「ええ…この間の、貴方がおっしゃっていたことが気になりまして…」 無意識に、左腕に右手を添えた。彼の熱が伝わってきたそこへ。 「ああ、それで僕がイギリスへ帰ってしまう前に、話をしたいと思ってくれたわけですか…」 探はまた、挑発的な笑みを口元に宿す。 「実のところ、書いてあった日時は暗号を読み解くまでもなく、今日の昼にあの手紙を受け取った時点でわかりきっていたことだったのですが…僕は、明日にはまたロンドンに戻りますからね」 「そうだったのですか、それは知らなかったです」 探はキッドの言葉を聞いて、やれやれ、という様子で息をついた。快斗なら知っていると、そう言いたいのだろう。わかりきっていることなのに、まだ白を切るのですか、と。 ポーカーフェイスが表情を固めるのを感じた。 「この間…貴方は言っていましたね。私の『盗む理由』がわかったと…」 「かもしれない、ですが…。限りなく核心に近いと思っていますよ」 探はキッドの背後へ視線を飛ばした。そこに佇む、月の姿へ。 「月、」 「……」 探の口から放たれた単語を、黙って聞く。核心に近いと言った探の言葉はおそらく嘘ではない。そう気付く。 「君は、盗んだ宝石をよく月に翳していますね」 確認するように言われる。キッドは否とも答えずに探を見ていた。 「…ロンドンで、面白い噂を聞きました。不老長寿の力を秘めた宝石が、この世に存在すると…。そしてそれは、月の光によって見分けられる、と」 「私がそれを探していると?」 「そのために宝石を盗み…、目的のものでないとわかると、持ち主に返したり、僕たちに託したりするのでしょう?」 「……」 「しかし、君がそれを欲しがる理由がわからない…僕の知る限り、君が不老長寿などというものに興味があるとは思えないのですが」 探は快斗に対して話していた。黒羽快斗がキッドであるという前提の下で。キッドは固めたポーカーフェイスで言い放つ。 「わからないでしょう、私が永遠の命を欲しているかどうかなんて、貴方には」 「わかりますよ、君はそういう人ではない」 そうでしょう、黒羽くん、と瞳が語っている。 自分の考えに、絶対の自信を持っている。キッドが認めようと認めまいと関係ないという様子だった。 「…貴方が言うのは、私のことではなくて、黒羽快斗のことなのではないですか?」 こちらから提示してやると、ようやく、といった様子で探は笑む。 「同じことでしょう、君は黒羽快斗だ」 断定の口調。以前にも何度か突きつけられたその言葉。しかし決して認めたことはない。 「もし君が本当にその宝石を捜しているとしたら、何等かの理由があるんでしょう」 「さあ、どうでしょうか……」 「……教えては、くれませんか。キッド」 真っ直ぐに見つめる瞳で探は言った。 「執着しすぎている、と思われるかもしれません。しかし知りたいのです。君が怪盗を続ける、その理由を」 しかし、彼は自分のことを見ていない。 モノクルを透かして探が見ようとしているのは、自分ではない。ここにいる、自分では。 「……貴方が知りたいのは、私のことですか?それとも、」 キッドはポーカーフェイスを崩して、微笑った。 「貴方の言う、黒羽快斗のことでしょうか」 「……。それは、どちらも――」 「失礼、」 君でしょう、と続けようとした探の言葉を遮って告げる。 「今夜は急にお呼び立てしてすみませんでした。今日のところはこれにて……」 モノクルの下に表情を隠し、優雅に一礼してみせた。 「キッド!」 慌てた探がキッドとの距離を詰めようと足を開いた。キッドは屋上の床を蹴って、ふわりと、端のフェンスの上に爪先を落とす。 「…私は、黒羽快斗ではありませんよ、白馬探偵」 「……っ、キッド…!」 月を背に微笑を残し、再び広げた羽で空に踊った。 駆け寄った探が、フェンスに縋るのをちらりと振り返った視界に見る。その姿が遠ざかっていく。 視線が捕らえているのは、自分かそれとも。 「馬鹿みてぇだ…」 過ぎる風に紛れてぽつりと漏らした。 キッドでありながら、昼間の自分に彼が語る怪盗のことを気に入らない、と思い。 黒羽快斗でありながら、月夜に見せる彼の快斗への視線が、辛い。 自分自身に、嫉妬するなんて。 彼の前では、自分自身すらわからなくなってしまう。 「お前は、知ってるって言うのか?」 それでも会わずにはいられない。 快斗は空に浮かんだ、ためらう月に問いかけた。 (06/11/20) 予告状はお遊び程度に思ってやってください…スマートに作れなくて、快斗くんごめん。 |