Love Light



 鏡の中で口を開く。ゆっくりと、ひとつの単語を綴る。音はない。その形を確かめて、記憶のそれと照合する。それはぴたりといかなくとも一致するように思えてならない。
 平次は、洗面台に両手を付き、はあ、と漏れ出る息に任せて頭を落とした。
 気付いてから何度か確認のためにしている行為は、平次を混乱に落とす。生まれる期待と、まさかそんなことはないという打消しをもう何度もした。
 手を伸ばして蛇口をひねる。ざあ、と流れる水を掬って手荒く顔にかけた。少し冷えた頭で、もう一度鏡に向き直る。

 ――好きだ。

 再び音無く呟いたその言葉は、変わらず平次を確信と疑惑の思考へ陥らせた。

「なにやっとんの、」
 不意に背後から呆れ声が投げつけられ、洗面台にしがみついたまま平次はうろたえた。
「な、なんや和葉、なんでそこにおるんや」
 鏡越しで認めた顔に、慌てて振り返る。和葉はそんな平次の様子を胡乱な目つきで見つめていた。
 平次は誤魔化すように手近のタオルを引き寄せ、濡れたままの顔を拭った。誰かに見られていると思っていなかったので、ばつが悪い。
「おばさんのとこに届け物しに来てん。ついでに平次の手伝いでもしたろかて思って。引越し、明日やろ?」
「別に、手伝ってもらうことなんてあらへんで。荷物はもう先に送ってもうたし。バイクで行くから、明日の荷物はそんなにないしな」
 手を振って言うと和葉は、あそ、なら帰るわ、と戸口から洗面所を覗き込んでいた体を引いた。
「あ、なあ和葉、」
 そのまま反転する背中に呼びかける。
「なに?」
「お前、去年の秋ごろ東京行ったやろ、で、工藤に会ったて言うてたやんか……」
「そやけど?」
「……そんとき、工藤、俺んことでなんか言うとった?」
 そっと、遠慮がちに訊ねてみると、和葉は盛大にため息をついた。
「あんなあ、平次。もし工藤くんが平次の気にするようなこと言うてたとして、あたしが快くそれを教えたると思う?」
「……思わんな」
「わかっとるんなら、訊かんといて。訊くなら本人に訊き。どうせ、明日っから、毎日、会えるんやろ?」
 最後はあてつけのように、わざとらしく強調される。しかしその事実を思い出して思わず、平次の頬は緩んだ。
 その様子に和葉からは、再び呆れた声が投げられた。
「アホ。……工藤くんに迷惑かけるんやないで、」
「当たり前や」
 更に緩みきった頬を隠しもせず言いきる平次に、和葉は額に手を当てた。
「もうアンタ、大阪帰って来んでもええわ、」


 話の始まりは大学受験合否発表の後だった。
『は、なんだよそれ』
 電話向こうではぽかんと口を開けているのだろう。そんな声を受話器越しに聞きつつ、そっと笑いを含む。
「せやから、そっち行くて」
『お前、東京の大学受けるなんて一言も言ってなかったじゃねえか』
「工藤んこと、驚かしたろ思ったんや」
 そういう問題じゃねえだろ、と呻く声が聞こえる。
『こっち来てたのに、連絡もよこさなかったのかよ』
「試験ときは、工藤かてそうなんやから邪魔したら悪い思て。それに、ちゃんと合格してから言いたかったんや」
『……落ちてたら言わねえつもりだったのか?』
「みっともないやん」
 そう言いつつも落ちるつもりはちっともなかったが、合格への不安を確実に無くすために懸命の努力はしていた。特に、冬に新一に一度会ってしまった後からは。
 その前だって、あっさり落ちてしまうような学力ではなかった。けれど東京の大学に行く、その決心を付けかねていた。それが冬以来、吹っ切れた。
 そうすると万一の可能性も無くさなければと、柄にもなく必死に勉強に励んだのだ。
 新一のいる、東京へ行く。
 前々から大学は東京へ行きたいと思っていた。それが工藤新一という付加要素によって、決心することを複雑なものにさせていた。
 それまでは気持ちを知られて嫌われることを恐れ、会うことにすら臆病になってしまっていたのだが、一度決めると開き直ったように素直になれた気がする。
 元々、大学の合否に合わせてどちらかに蹴りをつけるつもりだったこの想いの決着は、多少早まりはしたが、結果は同じことだったかと思う。
 落ちれば東京に行くことも叶わず、新一への気持ちも諦めをつけるつもりでいた。しかし、元々そんなことは無理なことだったのかもしれない。
 今までよりずっと新一の傍にいることができる東京。
 もちろん、同性の親友に抱くこの想いを易々と打ち明けられるわけではないが、それでも少しでも傍にいたいと思う気持ちは当然だ。
「そんなわけで近いうち、そっちに住むとこ探しに行かなあらんから、そんときちょお泊めて貰いたいんやけど……」
『ああ…それはいいけど……』
「おおきに、そしたら、また日にちは連絡するわ」
『わかった、』
 東京での新生活を思いながら、約束をとりつけると通話を終えた。

 後日、平次が約束どおり部屋探しに上京した日は、春先の、まだ冬の名残を感じる頃。
 部屋を探しに巡るのは一人で行こうと思っていたのだが、暇だからという新一も着いてくることになった。
 目星を付けていた駅まで、昼下がりの環状線に揺られながら行く。
「……しっかし、学部まで一緒だとは思わなかったぜ」
「俺かてびっくりや。別に示し合わせてへんのにな。きっと愛やな、愛」
 おどけて言っても、新一は「バーロ、」といつもの口癖で取り合おうとしない。平次は内心いたって本気でそう思っていたのだが。まあ元々興味の範囲も似ている二人のこと、必然でもあったのだろうとは思う。
 米花駅から二駅ほど、電車を降りると駅前の、学生相手の賃貸物件を扱う不動産屋へと向かう。
 改札を抜け、外へ出てすぐの横断歩道で並んで信号待ちをしているとき、新一が赤信号に目線を定めたまま言った。
「なあ、服部」
「なんや?」
 呼びかけられ、その横顔を見た。新一は少し躊躇いがちに訊ねてくる。
「…お前、いいのかこっちきて」
「どういう意味や?」
「だって、いるんだろ?好きな奴……大阪に」
 言われて、瞬いた。新一は赤のままの信号を見ている。確定的に言われた口調。どうやら新一は何か思い込んでいる節があるようだ。
 平次の幼馴染が彼に、平次には好きな人がいる、と伝えたということは知っている。まったく余計なことを言ってくれると頭が痛くなったが、和葉を振った上に、普通なら認められないような片想いを見逃してもらっている身としては強くは出られない。
 新一は平次の想う相手は地元大阪にいると思っているようだ。実際には、東京、それも今まさに平次の目の前にいるのだけれど。こっそり息をつきつつ思う。
 それを伝えるわけにはいかないが、嘘をつけばややこしくなるので、とりあえず差し障りない事実だけを伝える。
「大阪やないで」
「え?」
「好きな奴。いるんは、東京や」
 信号が青に変わる。
「ほら、青やで」
 驚いた様子で信号から目線を移してきた新一に教えてやり、横断歩道を渡る。
「お前……東京に女の知り合いなんかいたのか?」
「失礼やなー、交友範囲は広い方やねんで。あ、でも蘭ちゃんやないから安心しとき」
「バーロ、んなこと言いだしたら、東京から追い出してやる」
 まるで娘に虫がつくのを嫌がる父親のような物言いに、つい笑ってしまう。
 新一は蘭に振られたと言っていたが、その実それをそれほど気にしている様子ではなかった。おそらく蘭へのそれは、自分の和葉へのそれと似たようなところがあったのではないだろうか。
 蘭に振られたことが新一にさほどのショックを与えていないことに、少しばかり安心している自分がいる。
 笑うな、と新一に足元を蹴られた。

 駅前で物件をいくつか紹介してもらった後、別の駅前も当たってみた。めぼしいところは見たが、あまりぴんと来る部屋がない。
「はあー。なかなかええのんはないなあ」
「お前がわがままなんだよ、」
 日も落ちてきたのでひとまず切り上げ、工藤邸へ帰っていた。リビングで一息つき、もらってきた物件の資料を見るともなしに眺めてみる。
「駅前で、できるだけ広い部屋であまり家賃の高くないところって……どれかひとつくらい曲げろよ。一人暮らしならちょっとくらい狭くてもいいんじゃねえ?」
 呆れ声を出して、新一もその紙片を摘む。
「狭い部屋はなんや窮屈で落ちつかんのや」
「そりゃ、あんなでっかい家にずっと住んでりゃな」
「工藤かてそうやろ」
 この大きな洋館に、しかも今は一人暮らし。広々としていい、というよりは、いささか寂しいようにも思える。
 平次はもちろん新一が共にいるときにしかこの洋館に足を踏み入れることはないが、こんな広々とした空間に一人、というのはどういう気分だろうかと思う。
 紙片に目を落とす新一を窺う。場所と間取りとその他の情報の書かれたその紙の端を、玩ぶように指先で弾いている。
「まあ、すぐに学校も始まってまうし、さっさと決めなあかんな」
「そうか、」
 それだけ言うと、新一が紙片を放ってよこす。その様子はどこかつまらなさそうな雰囲気を纏っていた。
 昼間も自分から着いていくと言い出した割に、部屋をあれこれと見る平次の横で似たような様子だったことを思い出す。特に面白そうにしていることもなく、ただ平次が部屋を選んでいるを眺めているだけの新一が、平次は気になっていた。
 一人暮らしをするのは平次であって新一ではないのは確かだ。意見を求めてみても「服部がいいと思ったところにすればいいだろ?」という調子で返された。けれど折角なのだから新一も一緒に選んでくれればと思っていたのだ。
 終始そんな様子だったので、もしかして新一は、平次が東京に来ることを良く思ってないのではないかなんてことを考えてしまう。そんなことはないとはわかるけれど。実際に新一がそう感じているのなら、平次の部屋探しに付き合うなんてことはしなかったろう。けれど大阪に平次の想い人がいると勘違して、東京に来てもいいのかなんてことも訊ねてくるし、などと考える。
「明日、また回ってくるわ」
「朝から行くのか?」
「ああ、」
 明日は一人で行くわ。これ以上付き合わせんのも悪いし。
 乗り気でなさそうな新一に気を使ってそう申し出たのだが、新一は何故か更に不満そうな顔つきになった。
 新一は意外と感情がよく表情に出る性質だ。しかしそれを口に出すようなことはあまりないので、考えていることはちっともわからせてもらえない。新一の感情表現は表情八割、言葉が二割といったところだ。
 素直なのか、そうじゃないのか。ややこしいやっちゃ、と平次は内心苦笑する。しかし、そんなところも愛しく思えてしまうのは、惚れた欲目というやつだろうか。
 そんな彼をじっと見ていると、それに気付いた新一が、なんだよ、と睨みつけてきた。へらりと笑ってかわすと、変なやつ、と胡散臭そうな視線を投げられた。


 その日は工藤邸の客間のベッドでゆっくり休み、次の朝、早めに起き出した。家主はまだ夢の中にいるようで、リビングはひっそりとしている。
 新一はまだ起きだして来ないだろう。空いた腹も抱えていたので、平次は勝手にキッチンに失礼することにした。
 その三十分ほど後、物音に起こされたのか新一が二階から降りてくる。ダイニングで彼を迎えたのは綺麗にセッティングされた朝食の用意だった。
「おはようさん、」
「……はよ、」
「キッチン勝手に使わせてもろてるで。顔、洗って来いや」
 新一が促されるままに洗面所で顔を洗い、再びダイニングに戻ると、何も乗っていなかった皿の上にはバターの塗られたトーストが現われている。席につく新一を見て、平次はキッチンから声をかけた。
「卵、どないする?」
「え?ああ、じゃあオムレツ…」
「了解や」
 手早くふわふわのオムレツを作ってやると、丁度落ちきったコーヒーをカップに注いで、まだ寝ぼけ気味の新一の前に並べてやる。
「ほい、」
「さんきゅ…」
 コーヒーに口をつけながら意外そうにこちらを見上げてくる新一に笑いかけてやって、自分の分のコーヒーを入れてくると席に着く。
 丁度用意が済んだところだったので、平次も今からの朝食だ。「いただきます」と手を合わせてトーストを齧る。
 新一が、オムレツを口に運びながら、感心したように呟いた。
「お前、料理なんてできんだ」
「そんなたいそうなもんやないやろ、卵焼いたくらいやし」
 並んでいるのはトーストと平次の方は目玉焼きにしてある卵、簡単なサラダにヨーグルト、そして剥いた林檎、といったところだ。
「マメな奴…」
「工藤かて一人暮らしなら料理くらいしとるんやろ?」
「まあ、しねーことはねえけど……」
 出来合い買ってくるのが、殆どだよ。そうばつが悪そうに呟いている。
「朝はトースト一枚で済ませるし」
「なんや、あかんで、そんなんやと。朝飯は一日の活力なんやから」
 真面目ぶった顔で、お説教よろしく言う平次に適当に相槌を打つ新一は、黙々と朝食を胃に収めている。どうやら、朝食はそれなりにお気に召してもらえたらしい。
「飯食ったら、出かけてくるわ」
 そう新一に告げると、手を止めて新一がこちらを見た。一呼吸分、見つめられる。
「服部、あのさ……」
 なにやら躊躇いがちに切り出すので、何かと平次も手を止める。しかし、新一は迷うようにもごもごと口を動かして、結局その先を続けなかった。
「いや、なんでもない。さっさと部屋、決めて来いよ」
 そのままぱっと顔を移し、朝食を続ける新一の様子を不可解に思って窺う。けれどももう何も言うつもりのないらしい新一は口を噤んでいて、気にならないといえば嘘になるが、平次は新一の言おうとしたことを知るのを諦めた。

 しかし結局、その日もこれといった収穫がなく、平次の新居は決まらなかった。めぼしいものを絞り込んではあるのだが、どうにも決めかねている。
 米花の駅から新一の家まで、さてどうするか、と思案しながら歩いていった。駅からそう離れていない工藤邸の大きな屋根が、ほどなく見えてくる。
 家にずっといたらしい新一は、平次が戻ると玄関先まで出てきた。
「決まんなかったのか?」
「ああ、どうにもやっぱりなあ……もう少し検討した方がよさそうや……」
 でもそう時間もないしなあ、と靴を脱ぐ間、一人でひとしきり悩む。ふと気付くと、新一がこちらに目線を注いでいる。朝の何か言いかけたときの様子を引きずっている風だ。
 そんな新一の様子を気にかけつつも、まずはリビングへと移動する。しかし、平次がリビングの扉を開けたとき、後について来た新一から「服部、」と呼びかけられる。
 そして告げられた言葉に思わずその場で足が止まってしまった。
「お前さ、ここで一緒に住むか?」
 一瞬何のことを言われているか理解できずに、ぽかっと口をあけて振り向く。
 一緒に住む?俺と、工藤が?
 思わず同棲、なんて単語が頭に浮かんできて、慌てて追い払う。同時にその言葉が連れてきた様々な妄想も。呆けた顔を晒しているだろうが、頭の中ではそれらの想像が嵐のように駆け抜けていた。
 とっさに答えを返せない平次に、新一の方もなにやらやたらと慌てた様子になる。
「あ、いや別に特別に意味はなくて、この家部屋もずいぶん余ってるし、いい加減一人暮らしにも飽きたしだな、」
 どう見ても、あからさまな言い訳だった。しかも、新一のそうそう見せない慌てぶり。けれど平次は自分自身の頭の中を収拾させるのに忙しく、そんな新一に気付かなかい。
「だから……部屋、みつかんねーんなら、ここ使ってもいいぜ」
 何かを誤魔化すように、許可してやる、といわんばかりの口調で新一が言う。
 平次はといえば、こんなに願ったり叶ったりの提案はない、という事実に至っていた。この大きな洋館ならスペースの問題もなく、大学へも程近い。駅前までも歩いていけるし、何より。
 新一と共に暮らせる――。
 思わぬ提案に喜びあがる気持ちと、しかしそれでいいのだろうか、という戸惑いが湧き上がる。
 一つ屋根の下などで暮らして、果たして自分は親友の顔を保っていられるのだろうか。保てなかった場合、親友と居候場所、二つを同時に無くすことになってしまうかもしれない。そして、学生生活だけでなく寝食共にするとなると、平次には顔を取り繕っていられる自信はないように思えた。
 それにしても何故新一はそんな提案をしてくれたのか。平次の気持ちに気付いているわけではないとはわかる。気付いていれば、そんなこと言い出せることはないはずだ。東京でのねぐらを決めかねている友人への親切心だろうが、平次にとって手放しで喜べるわけでもない。

 そのとき、何故かふと、平次の頭に数ヶ月前の記憶が浮かんだ。
 新幹線のホームで、平次を見送った新一。あの時、扉の向こうで新一は何か言葉を放った。
 あれは、何を言っていただろうか。
 閉まるドアと発車の振動にさえぎられた言葉を平次は受け取り損ねた。後から電話で尋ねてみても新一が教えてくれることはなかった。
 今までは気になりつつも記憶の隅に置かれていたその言葉。
 しかし今、扉の向こうに立っている新一と、そのときの新一の姿が不意に重なった。
 その唇が動く。

 ――好きだ。

「服部?」
「えっ……ああ、」
 今、何を考えた?
 なんの確証もないのに、あのとき新一が形作った言葉はそれではないか、と思えてしまった。なんて自分に都合のいい考えだろうか。けれども。
「別に……お前が嫌だってんなら、いーけどよ」
 平次が黙っているのは答えあぐねているからだと思ったらしい新一が言う。その表情は、心なしか寂しそうに見える。
 都合のいいフィルターかもしれない。しかし、ゼロではないのかもしれない可能性。
「ホンマに、ええんか?」
 扉の枠に手を付いて、新一の表情を覗き込みがちにしながら訊ねる。
「お前がいいってんなら、俺は構わないって」
 耳たぶが、うっすら色付いているのに気付く。視線をうろうろと彷徨わせている。
 その様子が平次の目に可愛らしく映り、愛しさが込み上げた。思わず笑みが零れる。
「めっちゃ嬉しい」
 助かるわ、おおきに。
 結局のところは、そんな風に誘われて、断れるはずがなかったのだ。平次が誘いを受け取る言葉を告げると、新一が表情を崩した。
 花の開くような笑み。
 それは平次がそう返事を返したことが、とても嬉しい、と伝えてくるような。

 ――期待、してまうで、工藤……

 そんな笑顔を見せられたら。まさか、新一も自分と同じ気持ちを持って一緒にいたいと思ってくれているのではないかと。
「家事は分担にするからな、」
「まかせとき」
 満足そうに笑んで言って、新一は平次の横を通り過ぎリビングに入っていく。
 その背中を眺めながら、心で問う。
 なあ、工藤。もしかしてお前も――
 新一は「コーヒー飲むか?」と、笑顔のまま振り返った。


 あれから、記憶の中にある新一の唇の形と何度も擦りあわせてみた言葉。平次の中に不意に浮かんだその言葉は、確証は得られないまでも、違うとは言い切れない。
 結局は、一人でいくら考えても埒が明かないことだ。
 平次は愛車を東京、米花の工藤邸へと走らせていた。気持ちが逸るのを抑えながら。
 わからないのなら、本人に確かめればいいのだ。
 考えるだけ無駄だ。新一の傍で、彼が自分をどう思っているのかを確かめる。それは、自分の想いを悟られてしまうこととも繋がっているだろうが、もしかして、と思えば気にしていられなかった。
 大阪からの長い道のりを走りきって、工藤邸の門の前に着く。その家を見上げながらヘルメットを外すと、中からすぐ当の新一が現われた。バイクのエンジン音が聞こえたのだろう。
「来たな、」
 笑顔で迎える新一に、平次はにやりと口元を上げた。
「おう、来たで」
 よろしゅう頼むわ。門の向こうにそう言って投げると、新一は笑顔を更に増す。バイクをガレージ付近に止めるように仕草で示し、早く入って来いと、家の中へ戻っていった。
 その背中に、透ける何かが見える気がするが、はっきりと形を成さないそれは平次にはまだ掴みきれない。それでも、

 ホンマに、期待してまうからな、工藤――

 覚悟しいや、と、その心の中を表さない想い人へと宣戦布告する。
 平次は東京での新しい住まいとなる家へ、足を踏み入れた。




(06/12/21)