甘い、七年戦争


「エドワード・エルリック氏がお見えです」
「ああ、通してくれたまえ」
 言葉を受けて秘書が下がると、暫く後、金の髪の青年が伴われてやってきた。
 彼は臆することのない態度で執務室に足を踏み入れると、髪と同じ色の瞳をロイに投げた。
「どーも、」
 そして、挨拶になるのか怪しいような言葉を口にする。
「暫くだな、鋼の」
 デスクから立ち上がり、口に馴染んだ彼の二つ名で呼びかけると、エドワードは少しだけ瞳を眇めた。いつもの仕草。おそらく、無意識なのだろうと思う。
 二十を超えて少しばかり経った青年にはもう幼さの面影も殆ど見えず、しかし昔から変わらない強い意志の瞳は光を湛えていた。以前はずいぶんとコンプレックスを持っていたらしい平均より低かった背も、小さいなんてからかえないほどに伸びている。
 ロイは、その手の中の意外な物に目をとめた。上品にリボンをかけられたその箱は、セントラル広場から大通りへ抜ける立地のいい場所に店をかまえた、名にし負う良質のパティスリーの物。
 エドワードと高級菓子店のケーキ、その取り合わせに目を瞬かせる。気付いたエドワードが、軽く箱を掲げる。
「これ一応、手土産」
「珍しいな、どういう風の吹き回しだ?」
 揶揄するように言うと、愛想なく箱を突き出してくる。
「……前に、アンタがここの、このケーキが好きだって…グレイシアさんが言ってたの思い出したんで、どんなものかと思っただけ」
 落ち着かないように持て余すその手から、ありがたくケーキを頂戴した。木の箱に納められたケーキの重みを感じながら、そのまま秘書の方へと手渡す。
「茶くらいは出そう。座りたまえ」
 応接用のソファを勧めながら、秘書へ二人分の飲み物の用意を告げる。ケーキの箱と共に秘書が下がると、エドワードの正面へ自分も腰を落ち着けた。
「どうだ、調子は」
「別に、相変わらず」
「アルフォンスも、元気でいるのか?」
「アルの研究成果は、アンタの耳にだって入ってきてるだろ?」
「そうだが、もうずいぶん顔も見ていないのでな」
 差し向けた話題には、いつものようにつれない言葉が返る。
 軽い微笑と共に返して、結局本来の姿は幾度も目にしていない彼の弟のことを頭に思い浮かべる。しかし、やはり一番に浮かんでくるのは、あの鎧の表情だった。
 まだ小さなエドワードと、鎧の姿のアルフォンス。その二人が並んで歩くアンバランスな姿は、しっくりと記憶の中に馴染んでいる。
「君もそろそろ、一所に落ち着いたらどうだ?いつまでも根無し草というわけにも行かないだろう?」
 今までも何度と同じく問いかけた言葉だった。今更改めて言うことでもない。けれどそれはロイの口から滑り出た。
「アルはアルのやりたいことをやってるし、俺も俺のしたいようにしてるだけだ」
 そしてエドワードも最早決まった答えを返す。顔を合わせれば行われる、確認事項のようなやりとりだ。
 もうエドワードの隣に鎧の弟は見えないし、彼もあの頃よりずっと成長した。兄弟二人、彷徨い求め、身を寄せ合っていたのは昔の話。それでもエドワードは、まだ何かを求めるように歩みを止めない。
 今度は失った時を取り戻すように、自分の道を選び進み始めた彼の弟は側にはいない。けれど二人の間には、強い絆があの頃と変わらずあることはわかる。
 一所に収まらないエドワードが今どこにいるのか、何をしているのか、という情報はロイの耳には殆ど入ってこない。しかしエドワードは時折、このように不意に顔を見せに来る。丁度、セントラルの近くまで寄ったからという名分で。
 秘書がカップに注がれたコーヒーと、皿に綺麗に乗せられたケーキを携えて戻ってきた。カットされたケーキのつやつやとしたチョコレートの光沢と、横に添えられた真っ白なふわっとしたホイップクリームが上品な甘さを思わせる。
 ロイとエドワードの前にそれぞれを差し出して、秘書が部屋から下がる。
「…チョコレートの塊って感じのケーキだよな、」
 エドワードは、自分の持ってきたケーキを眺めながら呟く。
「確かにチョコレートのケーキ自体は甘いが、だからこそ、この甘さのないクリームによく合うのだよ」
 ふうん、と相槌を打ってエドワードが手を付けるのを見ながら、ロイもケーキにフォークを入れた。
 このケーキを食べるのも、ずいぶんと久しぶりだ。
 クリームをたっぷり掬って、ケーキと共に口に運ぶ。チョコレートの強い甘みがありながらも、無糖のクリームと相俟って、それは柔らかに口の中に広がった。表面にコーティングされたチョコレートがなめらかに溶け、中のスポンジに挟まれていたアプリコットジャムの風味が主張はせずに香る。
 流石は一流のパティスリーのものだけはある、と思わせられるケーキだ。その甘さを懐かしさと共に思い出し、
そして微かな感傷。
 まるで子供のように、無造作にケーキを詰め込んでいたエドワードは口を動かしながら言う。
「アンタ、こういうの好きなんだ、」
 何気ないエドワードの言葉を聞いて、ロイはふと、口を開いた。
「……知っているか?鋼の。元々、このチョコレートケーキはあの目抜き通りにある、セントラル一のホテルの、人気のオリジナル・ケーキだった」
 ロイはコーヒーで唇を湿らせて、そう話し始める。
「ふうん。じゃあ、なんであのケーキ屋が売ってるんだ?」
「ホテルのパティシエの息子と、このパティスリーの娘が結婚した。そのため、門外不出だったレシピが外へ漏れることになったのだ。パティスリーも同じレシピでケーキを作って売り出すようになった」
 エドワードは興味なさそうにコーヒーを啜っていたが、口も挟まず、聞く気はあるようなのでロイは続けた。
「後日、そのケーキを巡って裁判にまでなった」
「ホテル側が訴えた?」
「ああ。オリジナルの名前の権利を主張してね。長い訴訟の末に、ホテル側はオリジナルの名前を勝ち取った。パティスリー側もケーキを売り続けてはいるが、“オリジナル”を冠することはできない」
 ロイは、フォークの先で、ケーキの上に載った小さなチョコレートのプレートをつついた。そこには“オリジナル”とは違う、パティスリーのケーキであることを示す印が刻印されている。
「で、アンタはその“オリジナル”よりもこっちの方が好きなわけ、」
「……いや、本当は私がというよりも……」
 ふっと頭に浮かんだ顔。それにつられて思わず口から漏れる。しかし言うつもりはなかったものだったので、途中で濁すと、エドワードはちらりとこちらを見た。
「中佐?」
 その階級でエドワードが指す人物は、きっと一人しかいない。本当はもうずいぶん昔にその階級ではなくなったが、頑なにエドワードがそう呼ぶ人物。
「……よく、わかったな、」
 そんなにすぐにエドワードの口から指摘されるとは思わなかったので、少し驚きながら返す。
 エドワードはほんの小さく、ため息を吐いて言った。
「……アンタがそんな顔してるときは、大抵中佐絡みのことを考えてるとき、」
 そんなにわかりやすいのだろうか、と少々自分のことを不安に思う。いや、どちらかというとエドワードもそういう機微には鋭い。彼も、そうだったように。
「あれ、でも、グレイシアさんは、アンタがこれ好きだったって言ってたけど?」
「……正確に言えば、ヒューズが…私に良く土産として買ってきたのだ」
 そんなことは一度も言ったことがないしそんなそぶりを見せたつもりもないのに、何故そう思ったのかは知らないが、「ロイはここのが好きだろう、」と、そう言って。ロイはそれをあえて訂正するつもりはなかった。確かに、このケーキは、美味しい。
 もう一口、口に含む。
 確かに、美味しい。甘さが溶け、疲れた身体には良く染み込む。ヒューズがいなくなってからは、口にする機会はあまりなくなっていたが、あの頃はヒューズに連れられよくロイの元に顔を見せていた。それは、確かにロイの心を癒していた。
 そして、今、このときもそれは変わらない。
「……けれど、どちらかと言えば私には、“オリジナル”の方が口に合っている、」
 思わず呟いてしまう。
 昔からずっと思っていたその想いも、変わらないのだ。
「ごちそうさま」
 エドワードの皿の上はすっかり綺麗になっていた。
 コーヒーを飲み干すと、そこだけは律儀に、手を合わせる。そしてすっとソファから立ち上がった。
「もう、行くのか?もう少しゆっくりしていけばいい」
「アンタだって、そう暇なわけじゃないんだろ?もう行くよ」
 エドワードはそう言って躊躇わずドア口へと向かう。彼がこれからどこに行くのか、何をするのかもしらない。けれど、またしばらく後には顔を見せに来るのだろう。
「次は、いつごろ来るんだ、鋼の」
「さあ。まあ、そのうちに来るよ」
 ソファから立ち上がって、ドアの方へと身体を向けると、扉を開けたエドワードが振り返った。
「……また、持ってこようか、そのケーキ」
 エドワードの視線は、試すようにロイを捕らえる。
 ロイはその言葉に少し瞳を開き、そして微笑を微かに口元に乗せた。
「気を使ってくれなくても、結構だよ、」
「そう、」
 じゃあ、また。と来たときと同じように素っ気無い挨拶と共に出て行く。ロイは微笑んだままに見送った。
 ドアが閉まって、視線を落とす。
 テーブルの上の残ったケーキが目に入った。
 エドワードは、またこのケーキを携えてやってくるだろうか。わからなかったが、けれどきっとその甘さは今日と同じくロイの心を揺らし、溶いていくのだろう。
 それでも、自分に馴染むのはそれではないと。
 そう、思ってしまうのだ。






(07/2/19)