You never know.


 突然セントラルに姿を現した私に、ヒューズはずいぶん驚いたらしかった。それが純粋な驚きか、何か後ろめたいことがあるための動揺か、判断をつけ損ねてしまったが。
 仕事のついでに寄った、と言えば、納得した風で「なんだ、来るなら連絡くらいしろって、」と笑って言う。お互い様だろう、とは思っただけで口にはしなかった。
「飲みに、いかないか」
「ロイからの誘いなんて珍しいな」
「嫌なら構わんが」
「いやいや冗談だって、嫌なわけねえさ。大事な親友からの誘いを、」
 そっけなく言えばヒューズは手を振って慌てる。もちろん、今日は付き合ってもらわなければこちらとしても困る。そのために、東に戻ってやらねばならない仕事を明日延ばしにしてきたのだから。
 ヒューズは私の内心を余所に、軽く手を振って言った。「よし、今日は終わり、終わり」。時計を見れば定時には、数十分だがまだ時間がある。
「いいのか?」
「いいって、今日中にやっとかなきゃなんねえもんはとっくに片付いてるしな」
 そういうところは如才なくやる。執務中に軍回線で恋人自慢の電話をかけてくるなどいい加減なように見えるが、やるべきことはさらりと済ませている。要領がいいのだ。
 要領が良すぎて、逆に不安にさせられるほどに。
「あと少しくらいなら、私はそこら辺で待っているが?周りに示しもつかないだろう、」
「俺の主義はやるときゃやって、それ以外はやらない、だ」
「……部下の悪い見本にならなければいいがな」
 半分本音で言ったのだが、あっけなく笑い飛ばされてしまった。その姿を見ると頭が痛くなる気がして、額を押さえる。


 いい店を知っている、というヒューズに連れられて街を行く。そのうちに日は落ち、ささやかな街灯が代わりに路地を照らした。大通りから一、二本入ったその一角に、地下へ続く階段とガスランプにぼんやり浮かんだプレートが見える。
 階段を下り、木製のドアを押し開ければ、低くジャズの流れる店内にたどり着いた。
「ここは初めてだな。お前はよく来るのか?」
 今までもセントラルでヒューズと共に飲む機会は何度もあったが、その記憶を辿っても、来た覚えのないバーだ。広くない店内。客も三分入り程度、ゆるく静かに流れる時間が存在した。
「まあな」
 ヒューズは慣れた様子で奥へと足を進める。カウンターの中へと軽く手を上げて挨拶をする、その背に続いた。バーマンと顔見知りということは口調よりも多くはここへ足を運んでいるのだろう。
 奥の壁まで一気に進み、突き当たったところで右を示された。入り口からは見えなかったが、その先にもカウンターが続いていた。二つ程椅子の並んだ狭い空間。ヒューズは私を奥の壁際の席へと押し込んで、自分は手前へと腰をかけた。
 狭い店内で特に他から視覚になる場所は、確かに他人に邪魔をされずに落ち着いて飲むには最適と言えた。
 腰を落ち着けると同時、ヒューズがさっさと二人分を注文してしまう。特に希望もなかったので構わなかったが。
 出されたウイスキーグラスを受け取る。お互い仕事の疲れを労り合って、琥珀色の液体に口をつけた。アルコールが咽を通る熱い感覚が、身体に染みていく。
「ホテルは取ってるのか?」
「ああ。安宿だけどな」
「なんだ、うちに泊まればよかったのによ」
「新婚の邪魔をする趣味はない」
「お前ならグレイシアだって歓迎するのに」
 そういう問題ではない、と私は口中で呟いた。お前の新婚家庭に紛れ込むなど、先方の都合よりも私自身の具合が、悪い。ヒューズはそんな私の心情もお構いなしに、上機嫌にグラスを傾けている。
 マース・ヒューズは今幸せの只中だった。長い間恋仲にあった女性と式を挙げてから数ヶ月たったが、未だに新婚空気は冷めないようだ。グレイシアはヒューズにはできすぎた相手だと、士官学校の頃の友人たちとは茶化し合った。
 幸せな結婚、幸せな家庭。他ならぬ親友のそれを祝福する気持ちは大いにある。しかし、そこへ間抜け面を下げてのこのこと姿を現せるほど私は愚かではない。
 そして今日はそんな家庭に持ち込むには無粋な、しかしその家庭のためにもしておかなければならない話を、持ってきているのだ。
 私は会話の糸口を探しながら、グラスの中身を空けていた。気づくと新しいグラスが差し出されている。それを手に取り口を開く。
「お前も、少しは考えるんだな」
「ん?何がだ?」
「もうお前一人じゃないということだ」
 私はゆっくりと切り出した。今日の目的を。この男に言ってやらなければならないことがあった。しかし、単刀直入に言ってもヒューズが素直に聞くとは思えなかったので、からめ手から攻めていく。
「お前に何かあれば、彼女はどうなる?」
「おいおい、ロイ。何の話だ?」
 ヒューズの表情を窺えば、全く理解できない、という様子を浮かべていた。わかっているだろうに白を切るつもりか。仕方なく、私は本質に斬り込んだ。
「噂を、聞いた」
「なんのだ」
「将軍クラスの一部に、きな臭い動きがあるらしいな」
「まさか。そんな話があれば上が黙ってないだろう」
 ヒューズの手の中にある琥珀の液体が揺れる。それを見ながら、私は続けた。
「ああ。そのためかどうかは判然としないが…、どうやら探りが入っているということだ」
「……それならもう、時間の問題じゃないか」
 会話の糸を切る口調で、ヒューズが言った。私はグラスに口をつけ湿らす。
 そして更に確信的な言葉を重ねた。
「要請があったのか、個人的に動いているのか知らないが、あまり厄介なことに、首を突っ込みすぎるなよ」
「……話が繋がらねえな」
「繋がっているさ」
 臆せずに返すと、暗い明かりの下でヒューズの瞳が僅かに眇められたのを見た。グラスの中身を口に含み、唇をゆっくりと舐める。
「どっから聞きつけた噂だか…」
「信頼できる情報筋からだよ」
 ぽろりとヒューズの口から漏れた呟きに答えてやる。
「そうか。そんなら、俺も『噂』は知ってるぜ。なにやら悪戯を企てているのは可愛い鼠、ちょっと猫をけしかければ家から逃げてく、ってな」
 おどけた調子のヒューズは、あくまで自分のことと受け取ろうとしないようだ。私は苛立ちに似たものを抱いた。
「今はそうかもしれない。しかしいずれ、鼠と思ったものが毒を持った蛇だった、ということに出くわすかもしれないと言ってるんだ」
 アルコールの回りにも後押しされて、私は口をつくまま言った。
 心配をしているのはそのことだ。
 確かに、今回の反乱分子は放っておいても自滅するとも言われる程度の、話を聞くだけでもそう厄介な問題ではないと知っている。ただ邪魔な芽は摘んでおくに越したことはないということで、ヒューズが動いているのだということも。
 そしてヒューズの能力の高さも、私自身が誰よりも知っていることだった。大抵のことは、それを片付けたことすら周りに悟らせもしないないうちに、終わらせてしまう。
 しかしそれが不安の種だ。
 なまじ高い能力を持つゆえに、いつか周りすら知らないうちに大きな厄介ごとに首を突っ込んでしまうのではないか、と。そんな不安を漠然と抱くようになっていた。
 ヒューズの性格からおせっかいで動くこともあるが、上から買われた能力で、もちろん仕事として動いていることも多い。だから、「そんな危ないことをしないで、」等と小娘のようなことを言うつもりは毛頭ない。
 だがせめて。周りにまったく知られないまま動くようなことはできるだけしないで欲しいと思うのも、女々しいのだろうか。諜報のような活動の場合、外に漏らすことができないのは当然だ。それでも、周りの誰か――いや、自分にだけは、知らせておいて欲しいと思う。それはただの我侭かもしれない。
 けれど、誰も何も気付かないうちに、私にさえ、悟らせないうちに、取り返しのつかないようなことにでもなろうものなら。私はきっと、ヒューズ自身を恨むのだろう。私にすら黙ったままでいた、この男自身を。
 そして矛先を失った恨みは、どこへ行くのか今の私にはわからない。
 酔いのために感情的な想いがとりとめもなく頭の中を巡る。
 そうは思ったとしても、そんなヒューズをなじることも私にはできない。それができるのは今はもう、新しい小さな家でヒューズの帰りを待っている、彼女だけだ。
「たとえ鼠が蛇だろうと、」
 ヒューズの声に重い頭を向ける。
「障害物は取り除かねえと、道は進めないだろう?」
「……それなら、進路を変更すればいいさ」
 上手く頭が働かず、ヒューズの言葉の意図を読みきれないままに言った。
 少しばかり、アルコールが過ぎてしまったらしい。口を滑らかにするためにと進めながら、適度に抑えようとしていたのだが失敗した。
 仕方がないと諦めて、更にグラスを呷ろうとすると横からそれをさらわれた。
「変更はできねえさ」
「何故だ、」
 おざなりに返して、ヒューズの手からグラスを取り返そうと手を伸ばした。その手を逆に捕らえられる。ヒューズは取り上げたグラスに口をつけ、中身を含んだ。
 そして、グラスをカウンターに置いた手で、顎を掴まれた。さっと折れたカウンターの向こうに視線を走らせたかと思うと、ヒューズの鼻先が目の前に迫る。
「ん……」
 次の瞬間、合わさった唇から、アルコールが流し込まれる。思わず薄く開けた唇の端から溢れたものが流れ、同時に舌も忍び込んでくる。
「ふ、」
 こんなところで、と言う思いが頭を過ぎったが、覗き込まなければ個室にも似た空間、誰に見られることもない。バーテンがカウンター内をこちらにやってくれば視界に入るだろうが、その気配はないようだった。
 息を漏らしながら何度か角度を変えて唇を交える。息を継いだ瞬間、可愛らしく微笑む顔が頭に浮かんだが、キスとアルコールによる新たな酔いで、それは小さな罪悪感と共に底へと沈んでいった。
「は、あ…」
 ゆっくりと離れ、息を大きくつく。身体を適度な熱と浮遊感が包んでいる。それに捕らわれるままに身を任せた。
「……お前の、道だからだろう?」
 そのせいで、離れ際にぽつりと落とされた囁きは、ロイの頭には入らなかった。






(07/6/4)
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「大人の時間」 リクエスト from トマト様