快楽主義者


 二人分の呼吸音と、衣擦れの音、かすかな空気の動き。男の体臭、汗の匂い。
 照明を暗く落とされた室内では、視力以外の感覚が殊更冴えるように思える。特に触覚は何よりも敏感になっている。肌を滑る、暖かく大きな手の感触。
 意図をもって自分の体の上を動いていく、その手になすがままにされる。
「う…」
 それがある場所をかすめると、身体に疼きが走り、息を洩らした。
「ロイ…」
 深い声がロイの耳を掠める。熱い吐息が首筋に埋められ、手のひらは胸の飾りに伸ばされた。
 丁寧に二つの尖りを愛撫していく指先に、身を捩る。
「……、焦らすなヒューズ、早くしろ」
 視界に入る旋毛に命令するように言うと、情けない顔をヒューズが上げた。
「なんか、色っぽくねえなあ」
「色っぽさなんて求めても仕方がないだろうが」
 ヒューズはまだ何か言いたそうだったが、そのまま顔を下げ、今まで指に遊んでいたそれを口に含んだ。今度は舌で丁寧に舐め上げ、手のひらは更に下へと移動していく。
 その手が腹筋の辺りを彷徨っていたと思ったら、前触れもなく下肢へ移動し、中心を握りこまれて息をのんだ。
 梳かれて、息があがる。湿った音が、耳につく。
 ロイは黒い髪を握りこむように、ヒューズの頭を抱えた。

 ヒューズとこうして抱き合うようになったのはもうずいぶんと昔の話だ。
 しかし、ロイとヒューズは一般的にこういうことをする関係の二人を称する『恋人』という言葉には当てはまらない。セックスには二種類ある。愛を確かめ、育むものと、快楽を求めるもの。自分たちのセックスは専ら後者だ。
 男同士のそれは慣れてしまえば女とするよりも、より快楽を得られるものだと言う。ロイはそうだと言い切ることはできないが、女とする時よりも後先の関係の面倒がなくていいとは思っている。ヒューズとは、実にそう言う面での割り切りがさっぱりしている。
 そもそも始まりは幼さ故の好奇心で、知識に貪欲だった自分たちは背徳的な感情を抱くことなく、これに手を出した。士官学校の同室だった頃だ。躊躇いがなかったわけではないが、そう言った話題は男苦しい士官学校の寮で一般よりは身近だったため、比較的抵抗がなかったのかもしれない。軍隊には男色が付き物だとも言われる。
 手近で気軽な、性欲処理だ。そんな行為は十年以上も続いている。
 そんな中で、お互いにセックスの仕方はとても上手くなった、と思う。お互いのいいところは知り尽くしているし、どうして欲しいかは口に出さずとも感じられるようになった。そのとおりにしてやるかどうかは別としても。
 なんにせよ、初めて頭の中の知識だけに頼って挑んだ初めての行為のときに、ヒューズのものをロイの中に入れたまま、前にも先にも進めない状況になってしまったことなど笑えてしまう。その当時はまったく笑い事じゃすまされない状態であったのだが、それはまた別の話だ。
 そう、セックスの手管は巧くなった。
 けれども、こうして抱き合う時にたまにロイの胸中に生まれる、表現しがたい感情の塊は、あの時から変わることはない。

 中心を擦られるうちに上がった息は止まらなくなり、湿った空気がロイの口からはどんどんと吐き出された。
 意識の隅で、その息に含めてこのどうしようもない胸の塊を逃がしてしまえないか、と思った。
 セックスをするのに、それは邪魔でしかないものだった。ロイがただ快楽だけを追い求めようとするのを、それは妨げる。
 しかしその塊は十年前から変わらず体のどこかに潜んで消えることはなく、不意に顔を出してロイを困らせた。そして最近は、更に困ったことにそれが顔を覗かせる回数が増えたように思えた。
 余計なことは考えない方がいい。とにかく、欲を満たすことだけ思えばいいのだ。そうしないと、やっかいなことになると、ほぼ直感のようにぼんやりと感じていた。
 ヒューズの手が、うしろへと滑った。閉ざされたそこを解すようにゆっくりと指が埋められる。
「っ、う…」
 異物感に息を吐く。あふれでた先走りの液を使い、ヒューズはその指をゆっくりとロイの内部に進みこませていく。二本目も、同様に。
 息を詰めたロイを宥めるように、髪にヒューズの唇が落とされた。それは耳を啄ばみ、頬をかすめて、唇までたどり着く。
 唇を舐められ、薄く口を開けるとヒューズの舌が侵入してきた。ロイのそれを絡めとリ、角度を変えて、何度も何度も、深く口付けられる。
 まるで、情熱的に愛し合う恋人のようだ。
 ヒューズは快楽を求めるためのセックスであるはずなのに、こうして本来愛を示す意味合いの強い行為であるキスを、よくした。ときに情熱的に、ときに優しく。もちろんセックスをしている最中しかしなかったが、それは慈しむようにロイに与えられた。
 ロイにはヒューズが最中にどうしてそのようなことをするのかが理解できなかった。そうされることは嫌いではなかったが、その度何故かあのやっかいな感情が浮き上がって来るので、あまり喜ばしくはない。
「は、ヒューズ…はやくっ」
 唇を解放され、息を吐くと同時に懇願する。首に手を回し縋りついた。
「……どうした、ロイ?今日はやけに焦って、」
 いぶかしんだ様子のヒューズの声が鼓膜に届く。髪に指を差し入れられ、二、三度梳かれた。その仕草もどうにも優しくロイの胸を刺激した。
 早く、何も考えられなくなるくらいに快楽を感じたかった。理性をとばして、欲望だけを追い求める。余計なことは考えずに。
 ロイは、求めるように腰を揺らした。
 それに答えるように、ヒューズは指を引き抜くと自分自身を押し当てた。
「ちょっと、まだ辛いかもしんねえぞ…いいのか」
「いい、はやく、してくれ」
 ヒューズは求めるロイを目を細めてみつめた。淡い色をした瞳は、だが鋭い光を宿している。
「あ…うんっ…」
 指とは非にならない圧迫感に再び息が詰まる。腕に力を入れ、その背中にしがみついた。
 ヒューズはゆっくりとその身をロイの中に静めていく。
 それと同時に優しさに満ちたキスを、あらゆるところに落としていく。
 そのヒューズの優しさに、ロイの内の感情がどんどんと引っ張り出されようとしているのがわかる。駄目だ、これ以上は駄目だ、ヒューズ。
「ヒュー…」
「ロイ」
 言いかけた言葉を遮って、熱い、言葉がロイの耳を攫う。ぞくりと、肌があわ立つ。
 早く、はやくしてくれ。腰があさましく動く。
 何も考えられなくなるように。
 ヒューズがそれを感じて、動き出した。
「うっ…あ、あ…」
 与えられる刺激にだけ、意識を集中させる。体中を快楽だけが支配して行く。それ以上のものは、必要ない。
 動きは激しくなっていき、ロイを揺らした。
「ロイ…ロイ」
 最後にヒューズの声を聞き、ロイは快楽の海へ溺れていった。


「結婚、するんだ」
 その言葉をしばらくの間、理解できなかった。
 事の後、シーツに包まりうとうとと抱き合っていた。そんな時、不意に言われた。
「……誰、と?」
「今付き合ってる彼女。おまえも、この間あっただろ?」
 ああ、それなら覚えている、とそのヒューズの彼女を頭に思い浮かべた。
 清楚なブロンドで、笑顔の優しい、暖かそうな女性。ヒューズにはお似合いの女性だと自然にロイは思っていた。
「そうか……おめでとう」
 ロイはそう言うと笑ってみせた。
 心から、そう思うことができる。
 今この胸にある重い石のような感情はしばらくすれば消えるだろうから。
「ああ、ありがとう」
 ヒューズはそう言って穏やかに笑うと、変わらない手つきでこの上なく優しく、ロイの髪を撫でた。





(05/7/27)