デートインセントラル


 鏡に映った自分の姿を見て、ロイは小さくため息をついた。
 袖を通しているのは、最近は手に取ることもなかった外出用の普段着。
 着たきり雀よろしく、ここ毎日この身を包んでいたのは蒼い軍服だった。それを着ると朝早く家を出、遅く帰れば簡単な部屋着に着替えてベッドにもぐりこむ。そうした毎日がもうずいぶんと続いていた。
 休日なんてものは殆どなく、あったとしても仕事日にこなせなかった細々とした雑務や、部屋の掃除(といっても物のないロイの部屋は大して時間はかからないが)、食料品や日用品の買出しに軽く外に行き、古書店を少し覗いて錬金術の本を物色する、等といったことであっという間に一日が過ぎてしまう。そのため、今日のような休日の使い方は本当に久しぶりのことだった。

 丁度、セントラルへ仕事に行く次の日が、休日に当てられることになった。仕事を終わらせたその足でそのまま列車に乗れば、前日の夜半過ぎにはイーストの殺風景な自分の部屋にたどり着くことができたが、仕事に疲れた身体を更に移動で疲れさせたくはなかったので、セントラルに宿を取り次の日に帰ることにした。そう伝えると、ヒューズは電話回線の向こう側で弾んだ声を出した。
『じゃあ、折角だから夜は一緒に飯でも食おう』
「お前は仕事があるだろう」
『平気平気、俺は誰かさんと違って仕事溜め込んだりしないから、少しくらい早く上がったってまったく問題なし、だ』
 揶揄を含んだその言葉に、ロイはむっと口を噤んだ。その雰囲気が伝わったのか、噛み殺した笑いが電話口から漏れてくる。
『じゃあ、まあそういうことで、今度な。ちゃんと仕事しろよー』
 最後まで一言多いヒューズとの電話を終えて、しかし凡そ予想通りのことになったな、と思った。そしてその直後、自身で少しの戸惑いを覚える。
 自分はこうなることを期待して、ヒューズに休日のことを伝えたのだったろうか。
 過ぎった考えを、そんなつもりはなかった、と一蹴して頭から追いやった。
 ただ世間話の合間に話題に出しただけで、食事に誘ってもらうことを期待していたわけは、決して、ない。
 しかしそんなことを考えていると、あることに気付く。ヒューズと、こうして二人で出かけることなんていつ以来だったろうか。ずいぶんと久しぶりなことは確かだ。
 以前は同じ部屋で暮らしていたこともあるくらいだから、二人で出かけることなど日常的にあったことのはずだが、今は住む町も違い、顔を合わせる機会すら減った。こうして改めて二人で会うというのは滅多にないことだった。
(だからといって、何を意識する必要があるというんだ…)
 そう胸中で呟きながら、ロイはセントラル行きの荷物をまとめたのだった。

 その荷物に詰めてきたこの私服に身を包んで、鏡の前に立ったロイは再び息を吐いた。縒れていた襟元を正す。
 仕事を終え、停泊しているホテルに一旦戻ってきた。ヒューズの指定した約束の時間まではまだ余裕があったので、軽くシャワーを浴び、この服に着替えたのだが。
 久しぶりに着た開襟シャツとジャケットというスタイルは、どうにもどこか落ち着かない。いつもはぴったりと首元まで襟のある軍服なので尚更だ。
 店はヒューズが決めておくと言っていたので、どこへ行くかロイはまだ知らない。まさかフルコースディナーというわけではないだろうからラフな格好で構わないだろうが、裏路地のバーで、ということでなかった場合も考慮し、それなりに気を使ったものを持ってきてはいた。
 髪を軽く整えて、鏡の中の自分と対峙する。
(……おかしくは、ないだろうか)
 改めて自分の格好を上から下まで眺めてみる。
 まだそう多く袖を通していないジャケットは、生地もよく、ピンと綺麗なラインを描いている。その点では申し分ないのだが、やはり普段あまり着ない服は信頼感もそれほどなく、何度も見直してしまう。
 この服が気に入らなかったとしても、代わりのものは持ってきてはいないのだから替えはないのだけれど。
 ロイはそんなことをしきりと気にしている自分に気付いた。
「デートじゃあるまいし…」
 そして自分の口から漏れた言葉に、頭を抱える。
 いい歳をした男が、まるで意中の人とのデートを前にした小娘のようだ、と滑稽な自分自身に呆れ返った。


 日が地平線へと潜り込もうとするころ、ロイはヒューズとの待ち合わせ場所に立っていた。
 セントラルの中心部、軍部よりも程近い広場に建てられたこの時計台は、そういえば恋人同士の待ち合わせのメッカだったことを思い出す。
 週末ともなると多くの恋人たちがここに集う。ウィークデーの今日はそれほどでもないが、ロイの他にも二、三人、人待ち顔で佇む者がいた。そのどれもデート仕様であろう身なりをしていて、やはり自分も外からはああいう風に見えているのだろうか、と軽く目眩のする思いをした。
 店で直接落ち合っても良かったのだし、何もこんなところを待ち合わせに指定しなくとも…と、方向違いの恨みの言葉をつけてヒューズを胸中でののしる。
 時計を気にしながら佇んでいた一人の男性の元に、女性が駆け寄ってくる。二言三言言葉を交わすと、連れ立って歩いていった。女性の腕は男性のそれに絡んでいる。
 ロイは時計を見やった。待ち合わせの時間までには後、二分少々時間がある。しかしロイは、まだ姿を見せないヒューズに苛々とする。律儀に時間前になんて来てやらなくてもよかった、とすら思っていた。
「悪い悪い〜待ったか?」
 ヒューズは、待ち合わせ時間から時計の針が数ミリ傾いた頃にやってきた。小走りで。
 相変わらずのへらへらした笑みを浮かべる顔を、思わず睨んだ。
 しかし「遅い」と怒鳴ってやるには可愛い遅刻だったので、ロイは言葉を一旦飲み下すと、「別に、待ったほどではない」と愛想なく言ってやった。
「家に帰ったのか?」
 そしてヒューズの服装に気付いて、訊く。仕事終わりならそのままで来るのかと思っていたが、ヒューズはロイと同じように私服に着替えていた。
 ロイと似たり寄ったりのスタイルではあるが、ロイなら絶対に着ないであろう色物のシャツを中に着込んでいる。しかし、それが似合う。似合うな、と思ってしまったことを何故か口惜しく感じた。
「ああ、折角久々のロイとのデートだからな、軍服じゃあ味気ないだろ?」
「何だって?」
 ぽろりとヒューズの口から漏れたその単語を聞きとがめて、ロイは思わず眉を顰めて訊き返した。
「いや、だから軍服なんて窮屈なもん着てたらデートの雰囲気が味わえな…」
「デート…なのか?」
 見当違いの返答をするヒューズの言葉をさえぎって、ロイは険しく唸った。
 ヒューズはきょとんと間抜けな顔をした。
「デート、だろ?ロイもそのつもりでめかしこんできてくれたんだろう」
 当然のようにロイの服装を指され、ロイは言葉に詰まった。ヒューズは口の端を上げて、笑った。
「良く似合ってるぜ、その服」
 そしてそんなことをさらっと言い切って、「店、予約してあるんだ。行こう」と手を差し出される。
「男と手を繋いで道を歩けるか、馬鹿」
 ロイは差し出された手をはたいてやって、顔を下げたままヒューズの横を通り抜けた。
 頬の熱い顔を見られないよう、そのまま歩き出す。
 ヒューズが追いかけてくる気配がした。きっと顔にはにやにやとした笑みを浮かべているんだろう。口惜しい。
 背中に「待てって、ロイー」とへらへらした声がかかったが、歩調は緩めてやらなかった。 





(06/6/22)