circumstantial evidence カタカタとキーボードを叩く音が鳴る。 成歩堂は座りなれた成歩堂法律事務所所長室の椅子に座って書類作成に勤しんでいた。明日には必要なもので、本当はもっと早めに作っておくべきだったのだけれど、昨日今日と駆け込みの相談客が相次いで手をつけられないでいたのだ。 日はしばらく前にすっかり落ちてしまっていた。風に冷たさを感じるようになり、日も短くなってきているこの頃。下ろしたブラインドの隙間から、向かいのホテルにも明かりが点っているのが見える。デスクワークで固まってしまっている肩をぐるりと回した。さあ、この面倒な文字列の打ち込みをさっさと終わらせてしまわなければ。一分でも一秒でも早く。 そう急く思いを成歩堂に持たせている要因の人物が、ソファに座ったままちらりとこちらを見やった。成歩堂はその視線に申し訳なさそうに笑みを返す。 「まだ、かかりそうかなのか? ……今日はやめにしてまた今度に、ということでも私は構わないが…」 「あ、いや、もうすぐに終わるから。待たせておいて悪いんだけど、」 気を使ってか、申し出てくるのを慌ててさえぎる。折角久しぶりに御剣と食事に行けるのだ、こんなことで反故にはしたくない。それに、終わる目途が付いているのも確かだ。 そうか、と言って、御剣は持参していた本に視線を再び落とした。ソファに座っているけれど、背筋はすっと伸びていた。色素の薄い髪と、男にしては長いまつげの影が、横顔に落ちている。 成歩堂はその姿から目を引き剥がして、液晶画面に向き直る。 御剣と二人で食事に行くのは久しぶりだ。なかなかお互いの仕事のサイクルはかみ合わず、成歩堂が暇な時には御剣が忙しく、成歩堂が忙しい時には御剣も忙しかった。御剣は、そもそもあまり仕事のないときというのがない。 そんな御剣が、珍しく今日の昼間に成歩堂に電話をしてきた。 『成歩堂、君は今日の夜は空いているだろうか』 「うん?仕事が終わった後は特に何もないけど、どうしたの?」 『いや……久しぶりに、定時には仕事が終わりそうなのだ』 「へえ、珍しいね、」 『……それで、君さえよければ久しぶりに一緒に食事でも、と思ったのだが』 二つ返事で承諾した。 その後に書類を作っていないことに気付いてしまったのだが、御剣といられる貴重な時間を逃すなんて以ての外だったし、御剣から誘いをくれることなんてそれこそめったにないのだ。断れる理由なんてない。 御剣は言葉どおり定時に上がったその足で、成歩堂の事務所までやってきた。この事務所で成歩堂の助手役を買って出てくれている真宵は、御剣とほぼ入れ違いで外へ食事を取りに行った。真宵が戻ってくる前には、書類をまとめられそうだ。 御剣とは幼馴染であり、ライバルであり、親友だった。幼馴染とは言っても仲良くしていたのは小学生の頃の短い期間だったが、他の町へ引っ越した御剣と再び出会ったのは法廷という場所。それからいろいろとあったのだがなんとか今の、昔馴染みで親友、と言う位置に落ち着いている。 一時期を思えば今の御剣の成歩堂に対する待遇は破格といってもいいだろう。手紙を送っては無視をされ、検事になった御剣を追って弁護士になった成歩堂を、彼は初めのうちは相手にもしなかった。 その頃のことを思い出して、成歩堂は目を細めた。その後、御剣自身が被告人となった事件をきっかけに、更に後にも紆余曲折はあったが、仕事では信頼し合える、プライベートでは気を許せる仲までになったのだ。 これ以上なにを望めるだろう? 成歩堂は自嘲めいた思いを胸に押し込めた。 それでもまだこれ以上の関係を望んでしまうのだから、なんて自分は欲張りなのだろう。 成歩堂は御剣のことが好きだった。それは恋愛感情込み、で。 御剣にこの想いを口にして伝えようと考えたこともある。しかし、男同士という壁は成歩堂がその考えを実行に移すことを躊躇わせた。今の関係で、なにが不満であると言うのだろう。 ちらりと、御剣を盗み見る。相変わらず小難しそうな本を、少し眉を寄せながら読んでいる。 実は成歩堂は、御剣も自分と同じ想いを持ってくれているのではないか、などということを思ってしまっていた。 ふとした時の言葉やしぐさ、視線などがそう語っているように感じる。成歩堂の勘違いや、うぬぼれでなければ。 成歩堂も、それを感じるようになってから、想いを含ませた言動を思わず漏らしてしまうことが多くなった。多分、御剣がかなりの鈍感でなければ気持ちに気付かれている可能性は高い。 しかし確信を突く言葉を言うことはできなかった。 もし御剣の気持ちが成歩堂の勘違いだとしたら今の友情を壊しかねないし、御剣が成歩堂と同じ想いだったとしてもお互いにそれを確認し、恋人同士という立場になることを御剣は望んでいないかもしれなかったからだ。 男同士で付き合うとなれば、対面的な問題も絡んでくる。特に御剣は検事局のエリートだ。男と付き合っているなんていう話が漏れれば、仕事をし辛くなるだろうし、相手が弁護士であるとすればなおさらだ。 御剣がもし成歩堂のことを想っていたとして、何もそのことについて触れないのは、そのどちらかの理由が高いと成歩堂は思っていた。ならばわざわざ想いを伝えなくても友達としては側にいられるし、御剣が同じ気持ちであるのだとしたらそれだけでも充分だ。 とは思っても、心の別の場所ではそれじゃ足りない、と叫んでいる。なんとも強欲だ。 「よし、」 最後の文字列を打ち込んで、データを保存する。御剣が来てから、長針はもう一回りしてしまっている。 「わあ、ゴメン御剣、遅くなって」 「終わったのか」 「終わったよ。すぐ支度するから、」 御剣が本にしおりを挟んで閉じる。成歩堂は自分の鞄をとりに行こうと、御剣の座るソファの脇をすり抜けようとした。 「わっ、とと」 慌てていたためか、成歩堂はそのソファの角に足を引っ掛けてしまった。体勢を何とか保とうとしたけれど叶わず、そのままソファに向かって前のめりに倒れる。 「な、成歩堂、」 丁度、そこにいた御剣を押し倒してしまったかのような格好で。 目の前に迫った御剣の顔は少し赤みが差していた。それを目にして、成歩堂の頬にも瞬時に熱が集まる。 「あ、ごめ…」 「ただいまーなるほどく……」 同時に、所長室のドアが開かれる音がする。聞きなれた声が放たれ、途中で途切れた。 「ま、真宵ちゃん。お帰り」 成歩堂は慌ててソファから起き上がる。しかし頬の熱は取れない。真宵は成歩堂の顔を見て、ドアを開けていたままで止めていた動きを、ゆっくりと再開した。 「……うん、私わかってたし、大丈夫だよなるほどくん!」 「え?」 そして真宵が突然、勤めて明るく言った言葉に、御剣と顔を見合わせた。 「薄々わかってたんだ、私、そういうのって偏見ないし。ほら、今の時代そんなに珍しくないって言うじゃない?なんていうか、トレンディ!っていうか」 「ま、真宵ちゃん?」 更に真宵の口から出てくる台詞に困惑し、制するように問いかける。なにか、彼女は多大なる勘違いをしている気がする。 「ショックかと言われればショックかもしれないけどそれよりもやっぱりって感じの方が強いかな。うん、御剣検事ならなるほどくんのこと安心して任せられるしね。あ、ねえ、いっその事結婚でもしちゃえばいいんじゃない?事実婚っていうのかな。結婚式くらいは頼めばきっとあげてくれると思うの。なんてったって、トレンディ!だし」 オバチャンもかくや、という勢いで言い切る。成歩堂は口を挟めない。御剣を見ると、ソファから立ち上がって、ぽかんとした表情で真宵を見ている。 「そうだなるほどくん!結婚するなら御剣検事のお父さん呼ぼうか。『お父さん、息子さんを僕に下さい』ってお許しもらわなきゃならないでしょ?」 そう言うや、御剣の父親を呼ぼうとするそぶりを見せる。 御剣の父はもう既に亡くなった人物だ。しかし霊媒師という職業を継ぐ綾里の娘は、死者をも呼び寄せることができるのだ。 真宵が本当に霊媒を始めそうな勢いであるのを成歩堂は見て、慌てた。 「ま、待った!」 真宵の肩を掴むと、くるんとまるい瞳が成歩堂を見る。とりあえず、霊媒は阻止したようだ。 「真宵ちゃん、なんか誤解してるみたいだけど、さっきのは僕が躓いて…」 「……いいの、いいの、なるほどくん!言い訳しなくても。そうだね、ごめん、ちょっと調子に乗りすぎたよ。『ヒメタ恋』ってやつだよね」 完全に話が通じていない。ウインクをしてみせる真宵に、成歩堂は肩を落とした。 「でも、御剣検事にウエディングドレスは、似合うと思うんだ、私」 御剣には聞こえないようにか、耳打ちするような真宵の言葉に思わず純白のドレスに身を包んだ御剣を想像してしまう。 「それは…みたいな……ってそうじゃなくて!」 気付くと真宵は再びドアのところに立っていた。ノブに手をかけてひらひらと手を振っている。 「じゃあ、お邪魔虫は退散するね。御剣検事、どうぞごゆっくり、」 ドアがしまった。 成歩堂は一気に体から力が抜けていくのを感じた。ソファにへたり込む。まだ立ったままの御剣が、ぽつんと呟いた。 「…真宵君は、急に、どうしたのだろうか」 「多分、それなりにショックだったんじゃないのかな、彼女なりに」 誤解だが。 多少、思い込んだら一直線な面のある彼女のこの勘違いを、どう説明して解こうか、とその労力を思って肩を落とす。 「とりあえず、ご飯、食べに行こうか」 同じようなことを考え込んでいるのか、黙り込んでいる御剣を促して、外へ出る支度をした。 「まったく、真宵ちゃん、完璧な誤解だよ…」 そう聞かせるともなくぼやく。成歩堂と御剣が付き合っているなんて言う事実は、とりあえず、ないのであるから。更に結婚なんて、凄い単語まで聞いたような気もする。 そうしてドアを出ようとしたところで、御剣がまだ黙ったまま立った場所を動いていないことに気が付いた。 「どうした、御剣。行こう…」 「…だろうか」 「え?」 ぽつりと呟かれた言葉ははっきりと聞き取れず、成歩堂は聞き返した。 俯きがちに伏せられていた御剣の瞳が上向いて、成歩堂の瞳をとらえる。 「誤解……なのだろうか、」 御剣の瞳はどこか熱に潤み、頬に赤みが差している。先ほど、成歩堂がソファに倒れた時に目の前に見た表情と同じ。 「御剣…?」 「私は、誤解、のままにはしておきたくないと思うのだが……成歩堂、君はどうなのだろうか」 すがりつくような、切迫した色をその瞳の中に見て、成歩堂は御剣の言葉の意味を知る。 知った瞬間、矢も楯もたまらずその体を掻き抱いていた。 「御剣、僕も……異議はないよ」 腕に力を込める。おずおずと言った様子で御剣の両腕が成歩堂の背中に回る。 右手で肩口にあった御剣の頬を包んで、顔を上げさせる。そして、その唇にそっと自分のそれを寄せた。御剣の瞳がゆっくりと閉じられて行くのが見えた。 (真宵ちゃんには、感謝しないとな…) そんなことを思いながら、成歩堂はこの瞬間の幸せを噛み締めた。 (06/10/15) |