16th night with you.



 掴まれた左腕に、熱を感じたと思った。
 月に翳した宝石はまた目的のものではなかった。
 用のなくなった場所から飛び立とうとすると、駆けつけてきた彼に腕を捕られる。
「キッド、」
 不意の事にしまったと思うが、そのまま冷静に掴まれたダミーの腕を、ぽん、という音と共に切り離した。掴んだ方もわかっていた様子で慌てることはなく、しかし未だ手の届くほどの距離から、こちらに呼びかけてきた。
 羽を広げる。すぐに飛び立つつもりでいた。
「君の、盗む理由がわかったかもしれません」
 地を蹴り、空に身を躍らせた瞬間、耳にそれが聞こえた。
 空を舞いながら、こちらを真っ直ぐ見つめ続ける彼を驚きと共に振り返った。


 事件が起きたとの連絡を受け、その解決に協力していた新一と平次が、警察署での簡単な聴取を受け終えたのが午後八時近くだった。聴取を受けていた部屋から二人が出てみると、捜査課の一角が何やら騒がしくなっている。
「どうしたんやろ?」
「さあ…」
 そちらに視線をやりながら聞いてくる平次に気の無い返事をしながら、しかし探偵の性分から思わず聞き耳を立ててしまう。漏れ聞こえてくる会話の中、ひとつの単語が新一の耳にかかった。
「キッド?」
「なんや、あそこにおんの、中森警部やないか」
 平次の声に、新一も見知った顔を認める。怪盗キッドを特に執心して追っている警部がそこにいるということは、聞き取った単語に間違いはないのだろう。キッドの予告状がまた送りつけられでもしたのか。
 新一は平次に目配せをしてその輪に近寄った。キッドの事件には新一も以前少し関わったことがある。そのときは今より幾許か、身体が小さくなっていたりもしたのだが。
 先ほどの事件でも同行していた刑事が、担当が違うと思われるのに輪の中心を覗き込んでいるのを見つける。きっと新一たちと同じく好奇心もあってだろう。新一は声をかける。
「キッドですか、高木さん」
「ああ、工藤くん、服部くん。聴取終わったんだね」
 振り向いた高木は笑顔で新一たちを労わる。そして、声をあげた。
「ああ、そうだ!君たちならこのキッドの予告状の意味がわかるかもしれない。中森警部、どうでしょう、彼らに見せてみては…」
 後半は輪の中心の警部に向けられた。中森は目を落としていた紙片から顔を上げると、ちらりとこちらを見やる。その視線は新一たちを認めると嫌そうに歪んだ。中森とは反りの合わないらしい目暮警部、彼と親しくしている探偵たち、と気付いたからだろう。
 しかし、キッドからの予告状であるらしいその紙片を新一たちが見ることを拒みはしなかった。新一たちの探偵としての能力も彼はわかっている。
「予告状ですか」
「……ああ、しかし今回は盗みのターゲットすらわからない有様だ」
 苦々しく次げて、中森は紙片を新一に手渡した。輪になっていた刑事たちの視線が新一に集まる。平次が横から覗き込んできた。
「相変わらず、気障な言い回しやなぁ」
 新一は、予告状に記された文字に目を滑らせた。


 kid to nipper detective

 ヴィクトリアが正午の鐘を聴くとき
 躊躇いの月と共に
 硝子の輝きを持つ偽りの花を見下ろしながら
 貴方をお待ちしています

 怪盗キッド


 短いその予告文を眺めながら、新一は口元に手をやる。隣では平次が同じように考える仕草をしていた。
「ターゲットもわからないけど、この予告時刻…正午って、まさか真昼間から現われるつもりなのかな、キッドは。日付と場所も判然としないし…」
 高木が新一と平次に尋ねるように言う。中森の視線も二人に注がれていた。
 新一は笑顔で答えた。
「ああ、日時と場所はなんていうことは無いですよ。彼が現われる時刻はいつも通り、夜のはずです」
「月と共にってフレーズもあるしな」
 平次が新一の後を告ぐように付け足した。平次も新一と同じように予告状の意味は解読しているのだろう。
 ならば、新一と同じく不可解に思っているはずだ。この予告状を送りつけたキッドの真意を。平次に視線でそのことを問うと頷きが返ってくる。
「おそらくこれは…」
「個人に宛てた、手紙、やな」
「手紙?」
 高木が頓狂な声を上げる。
「どういう意味だ」
 中森が眉間に皺を寄せ、新一と平次を睨んでいる。自分が解けなかった予告状を、二人があっという間に解いた様子であるのが気に入らない、という表情だった。
「そのままの意味ですよ。『貴方をお待ちしています』……その言葉の通り、この手紙を送った相手へ、待ち合わせの約束を伝えているんです」
 告げると、中森の表情がみるみる険しくなっていく。
「ふざけるな、キッドの予告状じゃないというのか、これは!」
「そう怒鳴らんといてください。キッドからのもんやてことは間違いないと思いますよ。ただ、予告状やなくてただの手紙やったってだけで」
「そうか、待ち合わせのための手紙だから盗みのターゲットについては書かれていないんだね」
「ええ、そうです」
 合点したと声の調子を上げた高木に答える。しかし高木はうーん、と考え込んだ。
「だとすると、キッドは誰に宛ててこれを書いたんだろう?kid to nipper detective……キッドからnipper detectiveへ……detective…刑事…もしくは探偵、かな?もしかして、君たちのことなのかい?」
「いいえ、違いますよ」
 迷うことなく返した新一に、平次が口を出してくる。
「工藤、お前やっちゅう可能性もあるんやないか?」
「ばーろ、俺宛だったらわざわざこの言葉は使わないだろ」
「それもそやな、」
 あっさりと引き下がった平次はそんなこと元からわかっていたようだ。ただの確認だったらしい。
「君達は心当たりがあるのか、この手紙の宛て先に」
 中森が詰め寄ってくる。新一は、それには答えず中森に尋ねた。
「……この手紙、白馬探偵には見せましたか?」
「白馬?あのイギリス帰りのお坊ちゃんか」
 イギリスへ長期留学している、自分達と同じ高校生探偵と呼ばれた白馬探。今は確か一時的に帰国していたはずだ。彼もまた、怪盗キッドを追うことへの執着心を強く持っているようだった。
「キッドから予告状が来たと聞きつけたらしく、向こうから勝手にやってきたよ。その上、見てちょっと考えたかと思ったら、今回は警察が動くことじゃない、自分だけで事足りる、なんて生意気なことを…」
「そうですか、なら、大丈夫でしょう」
 新一は紙片を中森の手に差し戻す。思わずそれを受け取った中森は、目を白黒させた。
「お、おい。この予告状の意味がわかったんじゃないのか、」
「ああ、手紙の意味はわかったで」
 平次が答える。
「なら!教えろ、キッドはいつどこに現われるんだ!」
「中森警部。白馬探偵の言うとおりです。今回は警察が動くようなことじゃない。この予告状のことは忘れるのがいいと思いますよ。そもそも、何も盗まないんじゃ逮捕の理由も無いと思いますが」
「ぐっ…しかし、何も盗まんという証拠は…」
 なおも反論しようとする中森に、新一は笑んだ。言ったところですんなりと納得できないのは承知している。しかし、予告状の意味がわからなければ警察は何もできないはずだ。
「盗みませんよ。毎回律儀に予告状を出してくるキッドのことです。今回、盗みの予告をしていないってことは本当に盗みはしないのでしょう」
「そこんとこは、中森ハンならよーくわかってるんやないか?」
 平次がさらに駄目押しをする。それを言われては、中森も何も言えないだろう。誰よりもキッドを追い続けてきた彼だ。中森は押し黙った。
「ほんなら、お疲れさん。高木刑事もお疲れさんです」
「あ、ああ…お疲れ様」
 平次が明るく言って、その場はお開きの流れになる。まだ、納得行かないといった様子が大半だが、皆それを引き止めることはできなかった。

「もう、そろそろやな」
 運転をする新一の隣、助手席に座った平次がぽつりと呟く。
 警察署を後にした新一たちは、工藤邸へと車を走らせる。平次がいることにもすっかり馴染んだ、二人の家へ。
「ああ、今日が十六夜だったか」
 言葉の意味に気付いて新一は流れる空を見た。晴れた空、満月に似た月がビルの合間にちらりと顔を覗かせる。時計に目を滑らせると、午後9時前。
「…キッドは、どういうつもりなんやろ」
「わからねえけど…、白馬があの手紙を読んだのなら、俺達の出る幕じゃないだろ」
「そうやけどな」
 平次はキッドを探すかのように夜空に視線を這わす。
「……心配なのか?」
「白馬がか?それともキッドか?」
「俺が聞いてるんだよ、」
 気にする様子の平次に思わず尋ね、しかし逆に返されて、横目で睨む。平次は空を見るのをやめ、新一の方を向いた。瞳に笑みが浮かんでいる。
「なんや、焼きもちか?」
「バーロ、ちげーよ、」
 新一は前を走る車を見据えた。いつまでもキッドと白馬を気にする平次が気に入らなかったのは確かではある。
「わかったわ、考えてとっても埒明かんしな。恐らくあん二人の問題やろうし。忘れるわ、だからそない拗ねんといてや」
「拗ねてねぇ」
 にやにやと告げる平次に言い放った。しかし平次はそんな新一にさらに笑みを深くする。
「今日も急に事件やて呼び出されて疲れてもうたし、はよ帰って二人でゆっくりしようや」
 平次の含みを持たせた「ゆっくりする」には額面以外の意味が窺える。まったく、と胸中で息をつくが、異を唱えることはせずにアクセルを踏んだ。今日は平次と「ゆっくり」過ごすのも悪くない、と、柄になく素直に思いながら。
 ちらりと視線をやった空に、ぽっかりと浮かぶ月を見る。
 その月の前を、白い影が横切ったように見えた。


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