告白 「おう、着いたで、今東京駅や。……ええってええって、すぐ行くし。そのまま待っとき。ほな、また後でな」 通話を終えた携帯をジーンズのポケットに押し込む。よし、と戦場に赴くような気さえ持ちながら、抱えたバッグをゆすり上げた。冬の冷たさの空気が掠め、ファー付きのジャケットの隙間から忍び込んでくるそれに平次は身を竦める。 久しぶりに踏んだ東京の地。以前は一ヶ月と置かず訪れたこともよくある。しかし、今年の春から今までは、一度もこの東の地へ足を運んでいなかった。 今年はもう高校三年、受験生であるからという理由もある。しかしそれだけならば、今までの平次なら構わず新幹線に乗っていただろう。目に余る平次の東京通いに母親が釘を刺してきた、そんな事情もあったが、その目をくぐってやってくることだって充分可能だった。 平次が東京へ足を向けなかったその理由、それは受験などのことだけでは、もちろんなかった。 東京へ行くということは、彼に会う、ということだ。 新一からの電話があったのは春の終わり。不安と焦燥の中で待ち望んでいたものだった。そのため実際に平次の携帯電話がその着信を告げたとき、気を落ち着けて取るまで、呼び出し音を長引かせてしまった。 電話の向こうの声は、小学生の幼い声ではない。平次と同年代の工藤新一、その人の声だった。そう何度も聞いたことがあるわけではなかったはずのその声は、懐かしさを伴って平次の胸に届いた。 解毒剤のリスク、彼は口にはしなかったがそれには気付いていた。そんなことはありえないと思いながら、しかしもしかしたらという思いは平次の胸に棘のように刺さっていた。 だから、戻った、という言葉を聞いたとき、途方もない安堵が平次を支配した。 新一は無事に元の姿に戻った。誰にともなく、感謝に似た気持ちさえ湧き上がる。もし、新一が失われるようなことになれば、自分は。それは、親友であり相棒と言える新一に対するものとは、違う感情から生まれた想いだった。 新一と友人として接しながら、しばらく前から同時に持ち始めた新一への想い。小学生のコナンであった頃の新一へは決して告げられることのなかったそれは、しかしいつだって平次の胸にしまわれていた。 それからというもの足の遠のいていた東京へ、今回来ることになったきっかけは、平次の幼馴染、和葉からの電話だった。 十一月の日曜日。勉強続きにも飽き、部屋ですることもなしに雑誌を捲っていると、携帯が着信を告げた。 『平次?』 「なんや、和葉。お前東京いるんとちゃうんかい」 先日、週末に蘭に会いに東京に行くから平次もいかないか、と誘われた。しかし平次はそれを断っていた。忙しいし母親もうるさいから、と。幼馴染はそんな平次の本質を持たない理由に気付いていただろうが、諭す様に息をひとつ吐いただけだった。 『そうや。……今、工藤くんに会ったところや』 「なんやて?」 その名前には、どうしても反応してしまう。いつでも平次の中にある名前。 『平次、アンタまだ連絡もとってないんやて?』 「お、お前には関係あらへんやろ」 『アホ、工藤くん、今日も平次来てない言うたら、えろう、がっかりした顔しててんで!』 「え、ホンマ?」 間抜けな声が漏れる。和葉は呆れた、と言うようにため息をついた。 『まったく、男のくせにうじうじうじうじ……』 「って、おい和葉。お前、工藤に変なこと吹き込んでないやろな」 『変なことって?なんやのん?』 「せ、せやからな……」 わかりきっているという口調で惚ける和葉に思わず焦る。まさかそんなことをするとは思わないが、和葉の口から漏れるようなことがあったら、流石に居た堪れない。 この幼馴染には頭が上がらない、と平次は思う。まだ記憶に新しい、秋の初めのあの日からは更に、だ。 「好きやねん」 「……堪忍、」 短いやりとり。数秒に満たないそれら。確認作業のようなそれをこなして、しかし和葉は気丈に表情を変えなかった。 「俺もお前んことは、好きや。せやけど多分女として好きとちゃうねん。家族みたいな……妹とか、そういう感じなんや、和葉、お前んことは」 言いわけめいて口に出る。それは真実のことだったが、申し訳なく思う気持ちと共にあった。 幼い頃から共にいた彼女。きっと和葉のことをそういう風に好きになれれば、自分も和葉も幸せになれたのだろう。けれど、あまり近くにいすぎてそうした気持ちを持てなかった。向こうが持つ想いにも気付きながら。 それでも和葉が他の男と仲良くするのを見れば、苛立つものもあった。一時はそれが恋愛感情なのかと思ったこともあったが、どちらかと言えば、兄が妹に抱くようなものだったのだろう。新一への想いを自覚して、改めて思えばそう気付く。 「……それに、俺、今好きな奴おんねん」 「知っとるわ」 平次が言い終わらないかのうちに、語尾に被せるように言った和葉は、平次を睨み上げた。 「平次、工藤くんのことが好きなんやろ、」 ずばりと迷い無く言い切られて、うろたえた。 「なん……和葉、知って…」 「やっぱり」 確信を得た和葉の顔を見て慌てて口を押さえるがもう手遅れだ。和葉はそんな平次を見やるとふう、と息をついた。 「あんな、うちら何年幼馴染やっとると思っとるん?平次のことなんかすぐにわかるわ」 「……そんなわかりやすかったんか、」 戸惑いと不安のうちに訊く。自分の想いはそんなに表に出ていたのだろうか。まさか新一本人にまでばれている、なんてことはないと信じたい。いや、ないはずだ。彼にだけは気付かれてはいけないと、気を張っていたのだから。 「はっきりとわかったんは今やけどな。平次、工藤くんにはやたら執着しとるし、そうやないかてずっと思てたんや」 そういえば和葉は以前、平次の話の中に名の上がる『工藤』のことを、東京の女と勘違いしていたことがあったのを思い出す。 その勘違いは、あながち間違いではなかったということだ。そのときはまだ自覚していなかったが、実際に平次はその『工藤』に参ってしまったのだから。 「すまん、和葉……」 「平次に謝られる覚えはないで。……本気、なんやろ?」 「ああ、」 本気だ。本気でなければ同じ男をそんな風に想えるはずもない。 「……ホンマ、かなんわ。平次にそないな眼、させるんやからな…」 「ん?なんや?」 「なんでもない、」 小さく漏れた和葉の言葉を、平次ははっきりと聞き取ることが出来なかった。しかし笑顔を作る和葉の表情で、彼女の思うことを察してしまう。 和葉は、強い。きっと自分で自分の気持ちを処理してしまうのだろう。当事者である平次にはそんな彼女に助けを出すことはできない。 (ホンマ、すまんな、和葉…) 同性を好きになったなどと言えば、軽蔑されたっておかしくない。しかし和葉は自分の気持ちまで押し込めて、平次のその想いを認めてくれる。その幼馴染の強さは、いつも平次を支えている。 「……工藤くん、追ってた事件解決したんやて?」 「ん、ああ……聞いたんか」 「蘭ちゃんに、電話でな。春先くらいからはよう帰ってくるようになって、夏休みの終わりにはちゃんと戻ってきたて、新学期から学校にも来てるてな」 無事、復学も出来たのか。夏辺りまでは薬で戻った身体に不安があるから安静にしていなければならないと、新一は言っていた。その不安も払拭されて完全復帰となっているらしいことに、心の中で安堵の息を漏らす。 和葉が、ちらりとこちらを見てくる。 「一応、釘刺しとくけど…平次、蘭ちゃん悲しませるような真似したらあかんよ」 「わかっとるわ、するかい、そんなこと」 新一が蘭に恋心を抱いているのは知っている。蘭の方も同じだろう。だから元々叶わない恋だ。そんなもので新一を煩わせる気はない。 だから、東京へも行かずにいるのだ。 和葉は、そんな平次の口調と表情を敏感に読み取ったらしかった。 「……平次、最近東京行ってないみたいやね」 「……ああ」 「工藤くんが事件でおらんかったときは、平次は連絡取ってたんやろ?折角戻ってきたいうんやから、挨拶くらいなら行ったらええんやないの」 連絡だけでなく、コナンであった新一の傍にはよくいた。ずっといたいと思っていた。彼が小学生の姿であったから、自分の気持ちを隠しながらも傍にいられたのだ。 しかし、新一が元の身体に戻った今。傍で、ただの友達と振舞うには辛すぎる想いを平次は抱えていた。 「……行けるわけないやろ」 会えば、きっとこの想いを抑えられない。 幼馴染に淡く想いを寄せる新一に、この想いを晒してしまうかもしれない。そうすれば、今までのような友達としてすら、新一の傍にはいられなくなるだろう。 声を聞けば会いたくなる、だから連絡すら出来ずにいた。 「アホ、男のくせに。女々しいなあ」 「和葉、お前、言うてることちゃうやないか」 蘭を悲しませるなと言った口で叱咤してくる和葉にじとりと告げる。 「そうや、蘭ちゃんを悲しませるようなことしたらあかんで。……せやけど、蘭ちゃんに言われとるん。服部くんにもよろしく、て」 話が見えず、疑問符で促す。 「工藤くん、探偵なんてもんやっとるし、その上事件でずっと学校行ってなかったやろ?学校に友達もいるけど、やっぱりあんま上手くいっとらんとこもあるみたいやねん」 和葉は視線を斜めに流した。多分和葉が思っているのは、新一のことだけではないだろう。それは少なからず平次にも覚えのあることだ。 持ち前の明るさで上手くやってきたところもあったが、探偵などという特殊なことをしている平次のことを本当に理解する同年代はそういない。 「蘭ちゃんがな、平次は同じ高校生探偵やっとるし、ずいぶん気ぃ合うみたいやから、これからも工藤くんと仲良くしてくれて、」 新一を心配する蘭の思いを、和葉は自分にも重ねているのだろう。 「そうゆうてもな……俺かてキツいわ、」 しかし、口から出るのはそんな情け無い台詞だった。もちろん新一とは今までのように接したい。しかし、今行ってその友情を壊すことになっては元も子もない。 想いを殺しながら友人として接する自信が今はない。 「そんなことゆうて、このままずっと会わずにいるつもりなん?」 「そんなつもりやあらへん、」 ただ、今はまだ会うだけの気持ちの整理がつかない。けれどそれをずっと続けるつもりはなく、期限は決めていた。 その期限の日、決まること如何によって平次の今後の身の振り方も左右される。そして、自分の気持ちも、どちらに転ぶことになろうと、そのときには蹴りをつけるつもりだ。 和葉は口元を引き結んだ平次をしばらく見つめ、そして視線を落とし、また睨みつけるように平次を見た。 「アンタの気持ちがどうこうはどうでもええけどな、ともかく電話くらいせぇ」 「どうでもええて、酷い言いようやな」 肩をすくめてみせると、和葉はふん、と首を振った。 「せやかて、あたしが気ぃ使う義理なんてあらへんし」 それは、和葉を振った平次への彼女なりの悔し紛れらしかった。 『ともかくなぁ、いい加減連絡くらいしたり、』 あの時と同じことを言う。 あれから平次と和葉の関係がそれまでと特に変わることなく、口うるさい幼馴染はなんだかんだと平次の世話を焼いた。平次の方も、逆に気を使うよりは、と今までと変わらず接している。 「和葉、お前俺んことはどうでもええんやなかったんかいな」 しかし和葉が自分と新一のことにいちいち口を出すのは、もしかすると平次へのさりげない嫌味なのではないかと疑ってしまう。実際はただの世話焼き気質が顔を出しているだけだろうが。 『アホ、あたしは工藤くんと工藤くんのこと心配しとる蘭ちゃんのこと思っとるだけや。……蘭ちゃん言うてたで、工藤くん最近あんまり元気ないて』 「……ホンマか?」 まさか、元に戻った体の調子が悪いのだろうか。 新一の身体のことを知る人間は少ない。彼を気遣ってやれるその少ない人間のうちに入っている自分を思い出す。 電話をしてやりたい。他人に心配をかけないようにと、よく自分で抱え込み、無理をする新一のことだ。少しでもその負担を和らげられれば。それに何より、自分が新一の声を聞きたい思いが強かった。 しかしやはり今までずっと連絡していない気まずさも手伝って、電話をする決心がつかない。 『……あんな、平次。別にあたしはアンタの恋路を応援する気なんか更々ないけどな、』 「なんや?」 もったいぶった和葉の言いように、何かを感じた。口を噤んで続きを待つ。そして和葉の口から漏れたのは、思いがけない言葉だった。 『蘭ちゃん、工藤くんのこと振ったらしいで』 「……嘘やん。ホンマか?」 動揺が声音に出てしまう。 あの二人は両想いではなかったのか?蘭は新一がコナンになっていた間も、ずっと彼のことを待っていたし、誰よりもそれを知っていたのは新一だ。 『隠すことない言うてたからな、詳しいこと聞きたいんやったら本人に聞き。ほんならな、』 「おいっ、和葉!」 声を上げるが既に通話は切れている。 平次は息をつき、覚悟を決めるとディスプレイにひとつの電話番号を呼び出した。 半年以上の間が空いた連絡に,平次はしっかり新一からお叱りの言葉をいただいた。しかしそれなりに元気そうであるのを確認し一安心する。 ただ和葉から聞いた事の真意はそのとき切り出すことが出来ずに、「東京に来い」という彼の言葉のままにこの冬休みに上京する約束をしたのだった。 結局こうなってしまった、と平次は肩を落とす。 まだ気持ちの蹴りはついていない状態なのに、声を聞いてつのった会いたい想いのそのままに、東京まで来てしまった。 今はまだ想いを知られるわけにはいかない。しかし、新一の姿をしっかりこの目で確かめることと、和葉からの情報が本当であるのを確かめておくことを、しておかずには済まなくなってしまっていた。 クリスマスの次の日。街はイルミネーションの名残がまだそこかしこに見られる。 平次の予備校の都合でこの日になった。受験生にクリスマスなどはない。明日になればまたすぐ大阪へ戻る。 短い滞在期間。しかし今の平次には都合がいいとも言える。それ以上だときっと想いを隠し切れない。それでも胸のうちではいつまでだって傍にいたいという気持ちを抑えきれないでいたが。 久しぶりに見る米花町の街並みの中、息を弾ませ、迷うことなくひとつの住所へ足を向けた。 米花町二丁目二十一番地。 住宅街に現われたのは大きな洋館。いつみてもすごい家だ、と思う。広さで言えばお前の家の方が相当だ、と新一は言っていたけれど。 『工藤』の表札を目の端に、高鳴る胸を押さえながらインターフォンに手を伸ばす。しかしその指が届く直前、門の向こうの玄関扉が勢いよく開いた。 「服部!」 すらっと伸びた背、長い手足、幾分華奢に見えるが、年相応のしっかりとした肩。 新一が戻りたいと願っていた姿。 平次が想い焦がれた、その姿。 血色の良い頬に笑顔で平次の名を呼ぶ新一に、手を上げて返した。 「よう、工藤。元気そうやな」 綻ぶ顔は抑えきれない。 >NEXT |