講義の終わった階段教室の、日の差し込む窓際の一角。大島が興奮気味に話すのに、芳川と新一は耳を傾けていた。 「ミス研に知り合いがいるんだけどよ、ミス研の飲み会、服部も参加したって話だろ?」 「…ああ、行ってたな」 新一に同意を求めるのでとりあえず相槌を打ってやる。大島は確信を得たというように続けた。 「この間の学食の、服部の先輩。彼女とかなりいい雰囲気だったらしいぜー。ずっと隣で話し合ってて、離れなかったとかなんとか」 「へえ、じゃあ、本格的に彼女が服部の想い人決定?」 「いや……もうとっくにくっついてんじゃねえか?」 芳川の言葉に、大島は少しトーンを下げる。 「実はよ、その知り合いが聞いたところによると、帰り際、ちょっと離れた辺りで二人でなにやら話し込んでたらしいんだけど、それが……好きだのなんだのって話だったらしいぜ」 重大スクープを打ち明けるように大島が言う。新一は、複雑な想いを抱きながら、窓の外に視線を移した。 だから、あの日は機嫌よく帰ってきたのだろうか。 新一は、自分の中でじわじわと限界が近づいてきているのを感じていた。現実に気付きつつも、想いは薄れず、諦めることすらできない。それ以上に、どんどんと重く胸のうちに溜まっていく。 「お、噂をすれば」 芳川が声を上げた。視線の先、窓の下に見えるのは平次と、優奈だった。立ち止まって談笑している二人の様子を新一も視界に収める。 「へえっいい感じじゃん」 大島も身を乗り出して覗き込んでいる。 「服部ばっかりずりーよなー」 「お前と服部じゃ、スペックが違うだろ、スペックが」 「ほっとけ」 大島と芳川のやりとりを横耳に聞きつつ、遠目にも似合いのカップルに見えることにため息をついた。そして視線を外そうとしたとき、こちらから見て正面にいた優奈の目が、新一を捕らえた。 にこり、と微笑まれる。 新一は笑い返すことさえ出来ずに、口元を引き結んだ。 五限の講義が終わってすぐに、新一の携帯が着信を告げた。日が暮れ始めている。ディスプレイが知らせる着信相手は平次だった。 「もしもし、」 『あ、工藤。もう授業終わったか?』 「ああ、今帰ろうと思ってたところだよ。お前、どこだ?」 平次のバイクで帰ることになっていたので訊ねると、申し訳なさそうな声が電話口から聞こえてくる。 『あー、スマン。ちょお工藤乗せていけんようになったんや。寄るとこあるから、先帰っといてくれんか』 その言葉は、新一の胸にとても嫌な響きを残した。しかし、「わかった」とだけ、簡潔に返す。『ホンマ、すまんな』と謝る平次の声が聞こえる。 『夕飯当番俺やから、買い物はして帰るわ。夕飯少し遅なるかもしれんけど、待っといてくれ』 そう言って通話は切れる。新一は通話の切れたディスプレイをしばらく見つめ、そして、ぱたりと折りたたんだ。そのままキャンパスから最寄りの駅へと足を向ける。この時間なら電車はすぐ来るだろう。 キャンパスを抜けたところで、駐輪場へと続く脇道から一台のバイクが走り出てくるのに会った。 そのブルーのバイクは、見慣れたもの。運転するのも、メットを被っていても見間違えるはずのない人物。 後ろに、誰かを乗せている。メットで顔の見えないその人物が誰であるかを、新一は直感に近いもので断定していた。実際に、走り去る間際に確認したその人物の服装は、昼間に見たそれと同じで。 新一の良く使っているタンデム用のメットを被り、彼の胸に腕を回し身体を寄せる彼女。 バイクの走り去った方から視線を引き剥がすと、駅まで早足に歩いた。丁度ホームに滑り込んできた電車に飛び乗って、米花に着くと、逃げ込むように家へ帰りつく。 日は暮れていた。家は薄暗い。しかし明かりをつけずに、新一は二階の自分の寝室へ駆け上がった。ベッドに倒れこむ。 後ろに優奈を乗せ、走り去る平次。 その映像を頭から振り払うように、新一はベッドに顔を埋めた。しかし、その映像は頭から出て行ってくれそうになかった。 これは、自分の我侭に対する報いなのだ、と思う。 友人に抱くべきでない想いを秘めながら、彼の側にいたいという自分への。 平次には想う相手がいると知りながら同居を持ちかけたことも、想いを隠し、いい友達面をして平次の側にいようとしたことも、すべて間違いだった。こんなこと、長く続くわけがない。 新一はベッドに蹲りながら、胸を締め付ける感情と戦っていた。 どれくらいそうしていたのか、外はすっかり暗く、室内はカーテンの引かれていない窓から外の街灯の明かりが差し込むだけだった。二時間くらいは経っているらしい。 階下で扉の開く音がした。平次が、帰ってきた。 ぱたぱたとリビングへ向かう音、荷物を置く音。そしてしばらくして、階段を上る音が聞こえてくる。家中の明かりが付けられていないことを不審に思っているはずだった。 足音が、新一の部屋の前で止まる。ノック。 「工藤?いるんか?どうしたんや、」 新一は無言でベッドの上に起き上がる。ドアを見つめていると、遠慮がちに小さく開けられた。 「工藤?」 そして中に人のいることを確認したのか、ドアを更にゆっくりと開けて、平次が中に踏み込んでくる。 「なんや、電気もつけんと。……具合でも悪いんか?」 そう言って、電気のスイッチに手を伸ばそうとする平次を制す。 「つけないでくれ」 「……どうしたんや、」 平次が新一のいるベッドへと近づいてくる。外の街灯の明かりで、暗闇に慣れた目は踏み込んでくる平次の姿を捕らえている。 ベッドの側まで来た平次を見上げて、言った。 「お前、この家から出てけよ」 「……どういうことや、」 あまりに突然の新一の言葉に、平次は驚きを隠せないようだった。肩が揺れる。 「もちろん、今すぐにとは言わねえけどよ。部屋がみつかるまで、飯も別々に食う」 「よう納得できん申し出やな。なんか、俺がおって不都合でもあったんか?」 「お前は悪くねえよ。俺が、やっぱり同居は無理だったってだけで」 平次の眉間にぎゅっと皺が寄るのが見えた。新一は視線をベッドの端に流した。 「……俺と暮すのが嫌んなったんか」 「ああ、」 平次の問いかけに、肯定の返事をなんとか搾り出す。嫌になったわけはない。辛く、なっただけだ。 「そか、」 平次がぽつりと言う。これで、この同居生活も終わりだ。新一の我侭のせいで、平次との関係に少しばかりの傷を残して。 「……そうだ、お前が出ていくまで大学の行き帰りも俺は電車で行くから。空いた後ろに彼女、乗せてやればいいさ」 新一が付け足すように言うと、平次の瞳がすっと大きく開かれた。 「彼女、て、優奈さんのことか?」 「他にいるのか?」 その様子に気付かない新一は返す。すると、強い力で二の腕を掴まれた。引き上げられるような力に、新一は思わず平次を振り仰ぐ。 「工藤、お前……嫉妬、しとんのか」 平次の鋭い瞳に貫かれ、新一はしまった、と思った。 余計なことを言ってしまった。これだけは知らせるつもりのなかった自分の想いに、気付かれた。 「……は、何で俺が嫉妬しなきゃ何ねーんだよ」 何とか言い訳の言葉を紡ぐ。知られてはいけない。知られれば、友人という立場さえも失うことになる。 「年末……クリスマス後にこっち来たとき、」 平次が言う。 「帰りのホーム、新幹線出るときに、工藤……言うとったやろ」 その言葉に思い出す。言った。あのとき、新一は…… 「『好きだ』、て」 新一は唇を噛み締めた。ばれている。あの時、届くはずはないと口にした自分の想いが。 もう、無理だ。限界だった。もう、これ以上は。 「…そうだよ、俺は……お前が好きでっ…、」 「……っ!」 気付くと捕られた腕で引き立たされ、平次の腕に抱きこまれていた。力強く抱きしめられる腕を感じて新一は戸惑う。 「……はっとりっ?」 「堪忍……」 肩口に埋められた頭から、押し殺したような声が聞こえる。 「ホンマ、堪忍……。俺、気付いとったのに……ただの臆病やったんや。自分の勘違いやったら、どないしようって、」 「服部…?」 もう一度名前を呼ぶと、平次は顔を上げた。そして額を突き合わせる近さで、言う。 「好きや。工藤のことが、好きや」 その告白を新一は信じられない思いで聞いた。 「なんで……お前は、彼女のことが、」 「優奈さんは関係あらへん、」 「好きな人がいるって」 「俺の好きなんは、工藤だけや」 平次の想う相手が自分。その事実を新一は混乱しそうになる頭をなんとか抑えながら受け止めた。目の前にある平次の真剣な瞳。それは動かし難い証拠となって新一に突きつけられていた。 「けど、今日……彼女のこと、後ろに乗せてただろ、」 夕方に見た光景。それはまだ新一の心に引っかかっている。平次は少し目を丸くした。 「なんや…見てたんか。あれはな、優奈さんのことこっちで面倒見てくれてるて伯母さんが、急に倒れた言うて……たまたま一緒にいたんで、病院行くのにバイクのが早いやろってことで乗せてったんや」 「本当に?」 「嘘なんかつかん」 事実を知ると、数時間前にはあれほど心を支配し苦しめていたていた感情が、するすると消えていくのを感じた。 「……いつから、気付いてたんだよ。俺が、好きだって、こと」 「こっち来るときには、そうやないかて……思ってた」 そんな前から気付かれていたのか。そして自分の方は全く気付いていなかったという事実に、おかしさすらこみ上げてくる。 「ホンマ、堪忍。せやけど自信がもてなくて……はっきり言えんかった。ただ探るみたいなせこい真似ばっかして…はは、情けないわ」 「バーロ、俺がどんだけ……」 「詫びになんなら、工藤の言うことなんでも聞いたる、」 平次の言葉に、新一は小さく笑んだ。 「それなら……ここ、出て行かないでくれ」 「工藤…」 「さっきの言葉は取り消す。ずっと、ここにいろよ」 平次の瞳に喜びが宿る。顔をほころばせ、新一を包む腕に力が入った。 「おおきに、工藤」 「馬鹿……苦しいって」 「ああ、スマン」 腕が緩められる。そして片方の掌がそっと新一の頬に添えられた。平次の顔が近づく気配に、瞳を閉じ、背中に手を這わせた。 唇が触れ合い、何度と啄ばまれるそれがだんだんと深くなるのに、新一は身体を震わせた。 いつもと変わらない朝の光景。 起こされてダイニングに行けば朝食と笑顔。そして今までにはなかった空気が少しだけ。 それは新一が平次に同居を持ちかけたときから、手に入れたいと思っていた光景。 「…はよ、」 「おはよーさん。時間ないで。はよ食ってまえ」 トーストと卵の朝食を胃に収め、準備を済ませると、門の前に出て平次がガレージからバイクを回してくるのを待つ。投げられたメットを受け取った。 「……そういえばさ、」 「なんや?」 「お前、飲み会んとき優奈さんとかなりいい感じだったって、噂にされてっけど」 「は?」 「二人でこそこそ、「好き」とかなんとか言ってたって?」 じとりと見ると、平次はばつが悪い様子で頬を掻いた。 「いや…ちゃうねん。優奈さんには、相談のってもろてたんや……好きな奴いるっちゅうて。もちろん、工藤の名前は伏せとったけど…」 新一は、昨日優奈と視線が合ったときに向けられた笑みを思い出した。 ……ばれてんだろうな、あれは。 こっそりと胸中でため息をつく。何で自分はこんな男の想いを読み取れなかったのだろうか。それとも、やはり女は強い、ということだろうか。 「行くで、工藤!」 「おう」 メットを被って後ろに飛び乗る。エンジンが快調な音を響かせる。新一は、平次の背中から強く腕を回した。 「……離してなんかやんねーからな…」 「ん?なんか言うたか?」 「なんでもねー!」 二人を乗せたバイクが走り出した。 BACK< (07/1/8) |